ダイナマイトどんどん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/22 14:05 UTC 版)
作品の評価
興行成績
期待された邦画秋の大作攻勢は意外に伸び悩み、それぞれの思惑を大きく下廻る結果となった[10]。曲りなりにも成功したといえるのは『野性の証明』だけであったが、これも、前作の『人間の証明』より映画的スケール、知名度は上回ったものの、同じ原作者、同じスタッフによる映画化で観客の食いつきが鈍く、一年以上のパブリシティ、様々な話題作りを積み重ねた結果が予想した30億円をはるかに下回った[10][26]。『皇帝のいない八月』はプラマイ0[10]。『鬼畜』も作品の評価は上々だったが興行的には成功に至らず[10]、『聖職の碑』は7週間番組を予定していたが急遽5週間で打ち切られた[10]。最も苦しい興行となったのが本作で、配収は4億円強と予想された[10]。これらの理由として映画人口が増えてないため、夏に観客を大量動員すると、その反動で他のシーズンに影響が出るのではと分析された[10]。1978年の大作一本立て興行で大成功したのは『柳生一族の陰謀』(東映)と『女王蜂』(東宝)の二本だけで、無闇な一本立ては映画界にとってプラスの方向に向かっていないという論調も出た[10]。夏に出た『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』と『キタキツネ物語』によって勢いをつけてきた邦画が秋の大作攻勢によって邦・洋の比率を引っくり返すのではないかと期待されたが、最終的に洋画55:邦画45に終わり、逆転には至らなかった[10]。
作品評
木崎徹郎は「企画に現代が感じられないという一言に尽きる。いくらいい作品が出来ても、その前段階の企画でセールスポイントを定め、多面的なパブリシティを展開させなければ現代にマッチする映画作りは難しい。『ダイナマイトどんどん』は、企画の段階で興行・宣伝分野を見通せなかった典型例といってしまっては厳しすぎるだろうか。資金面でも背水の陣を敷いて取り組んだだけに、この秋に出た作品の中でもっとも大きな痛手を被った一本だ。『ダイナマイトどんどん』のようにたった一回の失敗によって再起不能あるいは再起するまでに相当な時間がかかるようなケースに陥ってしまうものが来年はもっとたくさん出てくることは想像に難くない」と評した[10]。
山根貞男は「やくざが野球で抗争のカタをつける話、と聞いたときには、かなりげんなりした。アチャラカ仕立ての喜劇を予想したのだ。が、予想は見事にはずれた。『ダイナマイトどんどん』は堂々と痛快な映画だ。どのシーンもどの人物も、ぴちぴちと弾んでいる。欲をいえば、野球シーンが少し長すぎるだろうか。しかしそれとて、練ったアイデアの連発で、決してたるんではいない。東映ヤクザ映画の諸要素をこと細かに転倒させている。この映画が東映ヤクザ映画の圏外で作られたからこそ、あっけらかんと爆笑でもって生み出されたに違いない。東映スターの菅原文太・北大路欣也が狂言回しに過ぎず、そのことに徹しているゆえに魅力的だ。いっぽう、東映ヤクザ映画と無縁な役者が痛快な芝居を見せる。いやそれ以上に、やはりここは岡本喜八の世界だ。任侠も暴力もロマンも時代背景も、すべてゲームと見る視点である。人間のあるがままの姿をそのままゲーム性において見るアナーキーな遊戯精神、といってもいい。その精神が映画の遊戯性をよく発揮させている。それにしても気になるのは、これが大作主義的に作られていることだ。並みの作品においてこの映画ほどの活力を示すことが出来ないのだとしたら、大衆映画の力は衰えているといわねばならない」などと評した[27]。
- ^ a b c d e f 井手雅人「特集1 『ダイナマイトどんどん』 野球に賭けたやくざの男たちの凄絶な闘志と可愛さ」『キネマ旬報』1978年10月下旬号、キネマ旬報社、60 - 61頁。
- ^ a b 全映画 2015, pp. 180–181.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「話題の人訪問(8) 菅原文太 『大作主義に文太流の斬り込みをかけたい』」『シネ・フロント』1978年10月号 NO.28、シネ・フロント社、8-10頁。
- ^ a b c d フォービート 1992, pp. 105–106.
- ^ a b c d 「POST 『燃える男・菅原文太の心意気 映画宣伝のためCM無料出演』」『週刊明星』1978年8月6日号、集英社、51頁。
- ^ a b c d e f g 古田求「特集2 『ダイナマイトどんどん』 ヒーロー・ヒロインの残像を求める旅の途中で...」『キネマ旬報』1978年10月下旬号、キネマ旬報社、62 - 64頁。
- ^ 俊藤浩滋、山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、225-231頁。ISBN 4-06-209594-7。
春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、324-325頁。ISBN 4-1637-68-10-6。 - ^ “【菅原文太さん死去】「激しく、熱い波動が忘れられません」 俳優の北大路欣也さん”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2014年12月1日). オリジナルの2014年12月3日時点におけるアーカイブ。 2018年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e f 森山京子「製作会見 『ダイナマイトどんどん』」『キネマ旬報』1978年9月下旬号、キネマ旬報社、165頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 木崎徹郎「興行価値」『キネマ旬報』1978年11月下旬号、キネマ旬報社、178 - 179頁。
- ^ a b c 「ヒット・Hit 映画劇場」『キネマ旬報』1976年7月上旬号、202頁。
- ^ a b c 「グラビア 『ダイナマイトどんどん』」『キネマ旬報』1978年10月下旬号、キネマ旬報社、20 - 21頁。
- ^ 「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1977年10月下旬号、180頁。
- ^ 大槻ケンヂ「国際おマヌケ映画際に『ボクサー』を」『現代詩手帖』1993年4月号、思潮社、150-152頁。
- ^ 「東映アクションの新シリーズ 『ラグビー野郎』」『キネマ旬報』1976年5月下旬号、46頁。
中島貞夫『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』ワイズ出版、2004年、268-276頁。ISBN 4-89830-173-8。
杉作J太郎、植地毅『東映スピード・アクション浪漫アルバム』徳間書店、2015年、114-119頁。ISBN 978-4-19-864003-3。 - ^ a b 「邦画界トピックス」『ロードショー』1976年10月号、集英社、175頁。
- ^ 高橋聰「ルポ特集II 親子同伴でにぎやかな『がんばれ!ベアーズ・日本遠征』京都ロケ見聞記」『キネマ旬報』1977年10月下旬号、キネマ旬報社、99 - 101頁。
- ^ 八森稔「話題の映画『ボクサー』とは?」『キネマ旬報』1977年10月上旬号、キネマ旬報社、50 - 51頁。
- ^ a b 「邦画マンスリー 『新宿酔いどれ番地/人斬り鉄』」『ロードショー』1977年5月号、集英社、181頁。
- ^ 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、107-108頁。ISBN 978-4103332312。
- ^ a b c 「ハッスルしてます文太兄ィ」『映画情報』1978年11月号、国際情報社、22-24頁。
- ^ ダイナマイトどんどん : 角川映画
- ^ a b 「この秋話題の日本映画総チェック」『週刊明星』1978年9月3日号、集英社、111頁。
- ^ a b c d 河原一邦「邦画マンスリー 『この秋の邦画界は大豊作だ!』」『ロードショー』1978年10月号、集英社、184頁。
- ^ a b 河原一邦「邦画マンスリー 『菅原文太、CM初主演の裏に東映の顔役 "秋の大抗争"が待っていた!』」『ロードショー』1978年9月号、集英社、183頁。
- ^ 「あえてB級をめざす『悪魔が来りて笛を吹く』の全貌」『週刊明星』1978年10月29日号、集英社、46頁。
- ^ 山根貞男・宇田川幸洋「今月の問題批評2 岡本喜八監督の『ダイナマイトどんどん』」『キネマ旬報』1978年11月下旬号、キネマ旬報社、146 - 147頁。
- ^ 神武団四郎「失われた映画史【19】 大藪春彦、連作映画化企画は実在した! 角川春樹版『傭兵たちの挽歌』の運命」『映画秘宝』2014年7月号、洋泉社、60頁。
固有名詞の分類
映画作品 |
ほえる犬は噛まない まごころを君に ダイナマイトどんどん 佐久間・大空の恋愛学校 欺かれた恋 |
- ダイナマイトどんどんのページへのリンク