タイガー・ジェット・シン 「襲撃事件」と「腕折り事件」

タイガー・ジェット・シン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 06:50 UTC 版)

「襲撃事件」と「腕折り事件」

  • 1973年11月5日、タイガー・ジェット・シンは2度目の来日中にビル・ホワイトら外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木を新宿伊勢丹前で襲撃[2]、猪木はガードレールやタクシーのボンネットに頭からぶつけられ負傷・流血した。平日の夕刻、大勢の帰宅客で賑わっていた最中での出来事であり、一般の目撃者から警察にも通報された。
  • 新日本プロレスに対する四谷警察署の対応は、「本当の喧嘩であれば猪木はシンを傷害罪で告発し、被害届を出せ。やらせであれば、道路交通法違反(道路無許可使用)で新日本プロレスを処分する」という厳しいものだった。これに対し新日本プロレスは、「やらせではない。シンは契約選手なので傷害罪で告発することは出来ないが、騒ぎを起こしたことは申し訳なく、お詫びなら幾らでもする」と始末書を提出し、事件は新日本プロレスに対する厳重注意で収まった。
  • この事件はプロレスファンから広く一般まで話題となり[41]、シンは本当に狂っているのではないか(後述)という印象を強く与えた。以後猪木はリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなった。事件直後の1973年11月16日、札幌中島スポーツセンターで超満員の中猪木と二度目の一騎討ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなった。
  • それまでの猪木のファイトは正統派スタイルを売りにしていたが、対シン戦で猪木が見せた喧嘩ファイトは猪木の新たな魅力を引き出し、ファンの増加をもたらした。またシンという絶対悪が存在する限り、日本人受けが良いとされる勧善懲悪の世界を築くことができた。これら一連のシン効果により、新日本プロレスはメジャー団体への階段を昇る。
  • 1974年6月、NWF王者猪木(当時)とのタイトルマッチ2連戦は、両者の遺恨がピークに達した試合と後に語り継がれる。同年6月20日東京蔵前国技館においてシンは、猪木の顔面に火炎攻撃を仕掛けサーベルで滅多打ちにした。猪木はタイトルこそ反則勝ち防衛したものの、左目と頭部を負傷した。その傷が完治しないまま6日後の6月26日大阪府立体育館での60分3本勝負は、1本目がシンの徹底した反則攻撃により猪木は大流血。2本目に猪木の怒りが頂点に達し、シンの右腕に狙いを定めると鉄柱攻撃やアームブリーカーなどで集中的に攻め続けた。最後はシンの右腕を骨折させ、ドクターストップの末猪木がタイトルを連続防衛し、ここに両者の遺恨に一旦終止符が打たれた[42]
  • 双方の攻防は、いずれも一歩間違えればレスラー生命に関わる激しいものであったが、両者には互いが共栄していくためには、超えてはならない一線を超えることも是とする暗黙の了解があったとされる。当時の猪木は日本プロレスを追放されたも同然の身で、ライバル団体の全日本プロレスに追いつき追い越したいという野望があり、シンも新天地日本でトップヒールとして開花したいという、両者の強烈なハングリー精神が共感した上で、前述の遺恨試合2連戦が展開された。特に第二戦の大阪府立体育館においては、猪木対シンの試合開始1、2時間前から会場は超満員(8,900人)の観客で溢れ、入場出来なかった多くの熱心なファンが係員と押し問答となったり、ダフ屋では1,000円のチケットに5,000円の値がついたりと場外でも話題は尽きなかった。また、試合を生で観戦した者は「会場全体が、これから殺し合いでも始まるのではないかという異様な熱気と興奮に包まれていた」と当時の様子を回顧する。
  • 後年、新宿伊勢丹襲撃について各関係者は以下のような証言をしていたが、最後はアントニオ猪木自身が事実を説明している。
    • ミスター高橋「猪木夫妻が了解済みのアングル作りであった」[43]
    • ビル・ホワイト「やらせと本物のケンカ、どっちも正解だ。当時の新日本プロレスに密告者がいて、プライベートの猪木を襲ってみてはとけしかけられたのは事実だ。ただし我々はある程度良識の範囲内での襲撃を想定していたのだが、途中からシンが本気になってしまった。『オレ(シン)は世界一のヒールになるんだ』とあの日のシンは間違いなく理性を失っていた」とシンの予定外の暴挙が騒動に発展したことを明かしている。
    • アントニオ猪木は、これまでの見解として「会社の誰かが俺のスケジュールをシンに教えてけしかけていた可能性はあると思う。あの頃、新日本プロレスの社員はみんな必死にいろんなことを考えていたから、俺に内緒でそういうことを仕掛けるくらいのことはやりかねなかった。」と[44]けむに巻いていたが、2006年の日刊スポーツの取材で「話題作りのため猪木自身が発案した演出」であった事実を説明している[45]

  1. ^ a b Tiger Jeet Singh”. Cagematch.net. 2022年2月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『THE WRESTLER BEST 1000』P57(1996年、日本スポーツ出版社
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  5. ^ a b c NWA United States Heavyweight Title [Toronto]”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月24日閲覧。
  6. ^ MLW at Toronto 1967/07/23”. Wrestlingdata.com. 2022年2月24日閲覧。
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  9. ^ MLW at Toronto 1967/07/09”. Wrestlingdata.com. 2022年2月24日閲覧。
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  11. ^ 東京スポーツ・2009年3月29日付 「小佐野景浩のプロレススーパースター実伝」第47回(当時の為替レートで約2500万円ほど)
  12. ^ WCW at Melbourne 1971/04/17”. Wrestlingdata.com. 2022年2月24日閲覧。
  13. ^ a b IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
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  15. ^ 新日本50周年 74年タイガー・ジェット・シンに怒りの腕折り”. 日刊スポーツ (2022年3月1日). 2022年3月19日閲覧。
  16. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月10日閲覧。
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  29. ^ a b c d 新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【27】全日本の報復は「シン」引き抜きから”. アサ芸ビズ (2022年11月30日). 2023年1月12日閲覧。
  30. ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史vol.2』P60(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 978-4-583-62187-6
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  32. ^ Tiger Jeet Singh: Matches AJPW 1981”. Cagematch.net. 2022年2月24日閲覧。
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  39. ^ 1992年正月の東京ドーム興行において、メインはシン対猪木であることが早々に決まったが、これに対して馳が「一線を退いた者同士ではなく、俺とシンを戦わせてほしい」と猪木にアピールする。猪木は自分の一存では決められないため、馳にシンと直接交渉するよう伝えた。馳はカナダのシンの自宅を訪問したが、シンに暴行を受け池に落とされた。話し合いでは結論が出ないため新日本側は、巌流島で戦って勝った方を猪木の対戦相手とすることとした。同決戦においては先にシンが馳を大流血に追い込んだが、馳の凶器による反撃で自身最大級の流血に見舞われ、リング内でKO負けを喫した。
  40. ^ a b c 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p84-85
  41. ^ 「あれはヤラセではない!」――新宿伊勢丹路上乱闘事件、タイガー・ジェット・シンが明かす43年目の真相
  42. ^ 猪木自身は「腕を折った」と明言しているが、実際にはヒジもしくは肩の亜脱臼だという。
  43. ^ 自身の著書にて。
  44. ^ [アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦]
  45. ^ 「狂虎」ジェット・シン 弱者支援で垣間見えた素顔”. 日刊スポーツ (2021年2月26日). 2021年2月26日閲覧。
  46. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.16-17
  47. ^ 天龍さんが語る“ギャップ” タイガー・ジェット・シンが搭乗口でサーベルを…空港襲撃!?珍事 (2/4ページ) AERAdot. 2021/11/28 07:00 (2021年11月29日閲覧)
  48. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.30-31
  49. ^ 鵜飼啓 (2021年2月26日). “「インドの狂虎」を総領事が表彰 震災時に子どもら支援”. 朝日新聞 (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASP2V2C5PP2VUHBI003.html 2021年2月26日閲覧。 
  50. ^ 山本小鉄は近年のコラムで、この技の合法性に関し「あれは紛れもなく反則。だから自分がレフェリーに転身後は、あの技に対し厳しく反則をとった」などと語っている。
  51. ^ a b c 『Gスピリッツ Vol.62』P6(2022年、辰巳出版、ISBN 477782876X
  52. ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史vol.2』P29 - P30(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 978-4-583-62187-6
  53. ^ 「フロントにタイガー・ジェット・シン様がいらっしゃっております」 呼び出された全日本実況アナは輪島戦について熱弁したweb Sportiva 2023年4月28日
  54. ^ 宝島社『実録 昭和事件史 私はそこにいた』77.78p。また、ミスター高橋は自著『流血の魔術 最強の演技』の中でも、稲川の実名を出さない以外は全く同様の記述をしている。
  55. ^ サーベルタイガー(『タイガー・ジェット・シン』のテーマ)”. mysound. 2022年6月19日閲覧。
  56. ^ 「プロ」の悪役だったブッチャー。凶器攻撃はレフェリーとのアイコンタクトで発動したweb Sportiva 2021年9月15日
  57. ^ 東京スポーツ2010年3月11日付7面記事
  58. ^ NWA Canadian Tag Team Title [Vancouver]”. Wrestling-Titles.com. 2013年8月7日閲覧。
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