サクラローレル
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デビューまで
持込、誕生までの経緯
ローラローラは、フランスで生産された父サンシリアンの牝馬である[8]。主に日本で馬主をしている全演植[注釈 1]が自身の所有馬で凱旋門賞を優勝することを目指し、フランスで競走馬を20頭ほどをまとめて購入[5]。その際「おまけのように[5]」(井口民樹)付いてきたのがローラローラであった[5]。全の所有の下、フランスで競走馬としてデビューし、1988年のセーヌ賞(準重賞)では3着となるなど6戦1勝[10]。引退後は繁殖牝馬となり、まずファビュラスダンサーと交配し、1990年に初仔を生産。続く2年目の交配では、全が「凱旋門賞(優勝)馬の仔で凱旋門賞を取りたい[11]」と考え、相手に1985年優勝馬のレインボウクエストを選択。受胎が確認された後に日本に輸入された[11]。それまで、サクラチヨノオーやサクラチトセオーなど全の活躍馬を多く生産してきた北海道静内町の谷岡牧場に繋養された。1991年5月8日、谷岡牧場にて、2番仔となる牡馬(後のサクラローレル)が誕生する。この2番仔は、持込馬に分類された[12]。
幼駒時代
2番仔の誕生直後に居合わせた境勝太郎調教師は「皮膚がとても薄くきれいな、いい馬だった。鼻の穴が大きくて、馬相が良かった[12]」。谷岡牧場の谷岡康成は「いい馬でしたね。品もありましたし、デキのよさにも自信が持てました。この時点で、”クラシック戦線を賑わしてくれるだろう”という予感がありましたね[13]」と述べている。境の孫で、小島太騎手の息子である牧場従業員、小島良太が当歳暮れから2番仔に育成を施した。2番仔を「ローラ」と呼ぶ良太は「ひょろとした馬。細くて長い不格好な[注釈 2][12]」馬であると評している。全が代表を務める株式会社さくらコマースの所有馬は、多くが境厩舎に入厩するためサクラの「主戦厩舎」となっていた[14]。ところがこの2番仔は、境が日本で実績のないレインボウクエスト産駒だったために受け入れを躊躇[5]。2番仔の行先は、2歳になっても決まらなかった[12]。ただ、境厩舎のあるサクラの馬1頭が故障した際、境が全に対し代わりを要求したため、残り物の2番仔が境に割り当てられた[5]。
2番仔には、冠名の「サクラ」に「ローレル」を組み合わせた「サクラローレル」という競走馬名が与えられる。サクラローレルが3歳となった1993年秋、美浦トレーニングセンターの境厩舎に入厩する[15]。
サクラローレルの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ブラッシンググルーム系 |
[§ 2] | ||
父 Rainbow Quest 1981 鹿毛 |
父の父 Blushing Groom1974 栗毛 |
Red God | Nasrullah | |
Spring Run | ||||
Runaway Bride | Wild Risk | |||
Aimee | ||||
父の母 I Will Follow1975 鹿毛 |
Herbager | Vandale | ||
Flagette | ||||
Where You Lead | Raise a Native | |||
Noblesse | ||||
母 *ローラローラ Lola Lola 1985 栗毛 |
Saint Cyrien 1980 鹿毛 |
Luthier | Klairon | |
Flute Enchantee | ||||
Sevres | Riverman | |||
Sartoga | ||||
母の母 Bold Lady1974 栗毛 |
*ボールドラッド Bold Lad |
Bold Ruler | ||
Misty Morn | ||||
Tredam | High Treason | |||
Damasi | ||||
母系(F-No.) | (FN:14) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah 4×5 | [§ 4] | ||
出典 |
注釈
- ^ サクラローレルが天皇賞(春)を勝利したり、凱旋門賞を目指す頃には、既に死去している。天皇賞(春)の優勝盾は、息子の全尚烈が受け取っていた。[9]
- ^ 例えば、後ろ脚をニワトリのように持ち上げて歩く「鳥足」であった。
- ^ 折り返しの新馬戦と呼ばれる。
- ^ 3月6日の500万円以下はオリビエ・ペリエ、9月25日のセントライト記念(GII)は的場均が騎乗している。
- ^ 小原伊佐美(1988年春秋:タマモクロス)、伊藤修司(1989年秋1990年春:スーパークリーク)
- ^ ほか、複勝式13億6611万9800円、枠番連勝式118億3273万8200円、馬番連勝式718億3784万4400円。計875億104万2400円。
出典
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- ^ a b “サクラローレルの血統表”. netkeiba.com. 2017年8月26日閲覧。
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