グプタ朝 社会

グプタ朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 14:16 UTC 版)

社会

都市の商人・職人は、互助組織として「ニガマ」、「シュレーニー」といった組合を設けており、彼らが用いた印章が多く出土している。こうした組織は、都市行政にも関わっていたことが推測されている。一部の富裕化した人々は豪奢な生活を送り、文化の発展を支えることになった。農村社会ではクトゥンビンと呼ばれる小農が基盤となっていた。一方、この時代からは上記の開発政策の結果としてバラモンが農村社会へと進出し、指導的立場となった。辺境の未開地にまでバラモンの居住地が拡大したことは、地方における農業の発展や政治システムの伝播につながったとされる。

文化

美術

アジャンター石窟寺院の壁画

グプタ朝時代に栄えた美術は、これまでギリシア文化の影響が色濃かったガンダーラ美術に代わり、純インド的な仏教美術として知られ、グプタ美術、または「グプタ様式」と呼ばれる。代表的なものとして、アジャンター石窟寺院の壁画や「グプタ仏」と呼ばれる多くの仏像、特に薄い衣がぴったりとはり付いて肉体の起伏を露わにする表現を好んだサールナート派の仏像が知られる[8]。これらの美術の中心は帝国の首都のあるマガダ地方ではなく、マールワーやサールナートといった地方であった。

文学

グプタ朝ではそれまで典礼言語として用いられていたサンスクリットを公用語化したため[2]サンスクリット文学は最盛期を迎え[9]、二大叙事詩である『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』が今日の形をとるようになった。戯曲『シャクンタラー』や抒情詩『メーガ・ドゥータ』を著したカーリダーサのほか、戯曲『ムリッチャカティカー』の作者シュードラカも活躍した。ヴァーツヤーヤナによる性愛書『カーマスートラ』は、当時の上流階級の生活をうかがうことができる。説話集『パンチャタントラ』は、インドのみならず東南アジアや西アジアの説話文学に影響を与えた[10]。言語でも、サンスクリット語の辞典『アマラコーシャ』をアマラシンハがまとめた。また、それまでプラークリットによるものも多かった碑文の言語がこの時期までには完全にサンスクリット化している[11]。『マヌ法典』も完成した。

科学

グプタ朝時代には、特に天文学数学化学医学において大きな進歩があった。アリヤバータ500年ごろ、グプタ朝の首都パータリプトラにおいて『アーリヤバティーヤ』(Aryabhatiya)を著し、西方からもたらされたギリシア天文学を完全にインド化するとともに、それ以後のインド天文学 (Indian astronomyインド数学の発展の基礎を作った。

その他

インド・デリーのクトゥブ・ミナール内にあるデリーの鉄柱は、碑文にチャンドラグプタ2世に比定される王名が刻まれていることからグプタ朝初期に建造されたものと考えられている。この鉄柱はウダヤギリ石窟群の前に立てられていたが、13世紀にデリーへと移された[12]

歴代君主

  1. チャンドラグプタ1世(320年頃 - 330年頃)
  2. サムドラグプタ(330年頃 - 380年頃)
  3. ラーマグプタ(380年頃)
  4. チャンドラグプタ2世(380年頃 - 414年頃)
  5. クマーラグプタ1世英語版(414年頃 - 455年頃)
  6. スカンダグプタ英語版(455年頃 - 467年頃)
  7. プルグプタ英語版(467年頃 - 473年頃)
  8. クマーラグプタ2世(473年頃 - 476年頃)
  9. ブダグプタ(476年頃 - 495年頃)
  10. ヴァイニヤグプタ英語版(495年頃)
  11. ナラシンハグプタ英語版(495年頃 - 510年頃)
  12. クマーラグプタ3世マラーティー語版(510年頃 - 543年頃)
  13. ヴィシュヌグプタ英語版(543年頃 - 550年頃)

  1. ^ a b 山崎元一,小西正捷編『世界歴史大系 南アジア史1(先史・古代)』p164 山川出版社,2007年 ISBN 4634462087
  2. ^ a b c 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』p207 平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
  3. ^ a b 『南アジア史』(新版世界各国史7)p114 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
  4. ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p116-117 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
  5. ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p116 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
  6. ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p119 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
  7. ^ 「インド仏教史(下)」p5-6 平川彰 春秋社 2011年9月30日新版第1刷発行
  8. ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p122 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
  9. ^ 『カーリダーサとサンスクリット古典文学』p121 川村悠人(「インド文化事典」所収)インド文化事典製作委員会編 丸善出版 平成30年1月30日発行
  10. ^ 『南アジア史』(新版世界各国史7)p120 辛島昇編 山川出版社 2004年3月30日1版1刷発行
  11. ^ 「サンスクリット」p130-131 ピエール=シルヴァン・フィリオザ 竹内信夫訳 白水社 2006年6月10日発行
  12. ^ 「人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理」p225-226 永田和宏 講談社ブルーバックス 2017年5月20日第1刷発行


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