来歴
ディ・パスカルは7歳からテニスを始め、12歳の時にカサブランカからフランスへ引っ越した。ジュニア時代には、1997年全米オープン男子ジュニアシングルスで優勝がある。1998年にプロ入り。1999年全仏オープンでディ・パスカルはアンドレイ・メドベデフとの4回戦まで進出した。同年10月にシチリア国際決勝でアルベルト・ベラサテギを6-1, 6-3で破り、ツアー初優勝を果たしたが、結果的にこれがディ・パスカルの唯一のATPツアー優勝になった。
ディ・パスカルの選手経歴のハイライトは、2000年シドニー五輪男子シングルス銅メダル獲得である。この大会でディ・パスカルは1回戦でニコラス・キーファーを、3回戦で同年の全仏オープン準優勝者マグヌス・ノーマンを、準々決勝でフアン・カルロス・フェレーロと、格上の選手たちを次々に破って勝ち進んだ。準決勝でロシアのエフゲニー・カフェルニコフに4-6, 4-6で敗れたディ・パスカルは、3位決定戦でスイスのロジャー・フェデラーと対戦した。ディ・パスカルは当時19歳のフェデラーと2度のタイブレークを戦い7-6, 6-7, 6-3のスコアで下して銅メダルを獲得した。オリンピック競技としてのテニスが1988年ソウル五輪で復活した後、フランスの選手によるメダルは初めてだったことから、ディ・パスカルは2000年11月にシラク大統領から国民名誉勲章(フランス語版)を授与された。
その後のディ・パスカルは、2002年全仏オープンで3年ぶり2度目の4回戦進出があったが、ここでは第2シードのマラト・サフィンに6-3, 4-6, 3-6, 2-6で敗れた。彼のテニス経歴はあっけなく萎み、2003年3月から1年間の戦線離脱を経験した後、2004年全仏オープンと2004年全米オープンで1回戦敗退に終わる。最後の2年間、彼は下部のATPチャレンジャーツアーを回った。フランスに1924年パリ五輪以来76年ぶりのオリンピックのメダルをもたらしたディ・パスカルは、2006年11月のパラグアイ・アスンシオンでのチャレンジャー大会を最後に、27歳で現役を退いた。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 2回 (1勝1敗)
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サーフェス別タイトル
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ハード (0-0)
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クレー (1-1)
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芝 (0-0)
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カーペット (0-0)
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結果
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No.
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決勝日
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大会
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サーフェス
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対戦相手
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スコア
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準優勝
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1.
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1998年9月21日
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ブカレスト
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クレー
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フランシスコ・クラベット
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4–6, 6–2, 5–7
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優勝
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1.
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1999年10月11日
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パレルモ
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クレー
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アルベルト・ベラサテギ
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6–1, 6–3
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