アグスティン・カレリ アグスティン・カレリの概要

アグスティン・カレリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 07:09 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカレリ第二姓(母方の)はシャールです。
アグスティン・カレリ
Agustín Calleri
アグスティン・カレリ
基本情報
フルネーム Agustín Calleri Shaal
国籍 アルゼンチン
出身地 同・リオ・クアルト
生年月日 (1976-09-14) 1976年9月14日(42歳)
身長 182cm
体重 86kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1995年
引退年 2010年
ツアー通算 5勝
シングルス 2勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 291勝273敗
シングルス 209勝187敗
ダブルス 82勝86敗
生涯獲得賞金 $3,753,387
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2001・04・05・08)
全仏 3回戦(2000)
全英 2回戦(2003・06-08)
全米 3回戦(2000・07)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2008)
全仏 1回戦(2008)
全英 1回戦(2003・07)
全米 2回戦(2007・08)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 準優勝(2006・08)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 16位(2003年7月7日)
ダブルス 52位(2008年6月16日)

来歴

ワインとウイスキーの販売店経営者の家庭に生まれ、4歳からテニスを始める。1995年にプロ入りした後、彼は数年間ATPツアーの下部の大会で長い下積み生活を送った。2000年全仏オープンで初めて4大大会の予選突破し、本選で前年度準優勝者アンドレイ・メドベデフとの3回戦に勝ち進む。この後、7月のデビスカップ・アメリカ・グループ1プレーオフ準決勝で初めてデビスカップアルゼンチン代表選手に起用された。アルゼンチンはカナダに1勝4敗で敗れたが、カレリがシングルスでセバスチャン・ラルーを破り、代表デビューを白星で飾った。それから全米オープンでも3回戦に進み、ここでピート・サンプラスに挑戦した。この後、カレリはデビスカップ代表選手として着実な成績を積み上げていく。

カレリが4大大会にデビューした2000年全仏オープンでは、フランコ・スキラーリアルゼンチン人選手として久々のベスト4進出を成し遂げた。2002年から、アルゼンチンはデビスカップの最上位カテゴリーのワールドグループに10年ぶりの復帰を果たす。2002年ウィンブルドン選手権ダビド・ナルバンディアンが準優勝し、アルゼンチンの男子テニス界は一気に盛り上がりを増していく。カレリは2003年2月にATPツアーでシングルス・ダブルスの初優勝を遂げ、5月中旬のハンブルク・マスターズで準優勝を記録した。グランドスラム大会に次ぐ規模の大会で準優勝のポイントを得たことにより、彼はこの時期にシングルス自己最高の16位となった。

デビスカップ2006で、アルゼンチン代表は1981年以来25年ぶりの決勝進出を成し遂げた。対戦相手国ロシアのホームのモスクワオリンピック・スタジアムで、カレリはダビド・ナルバンディアンホセ・アカスソフアン・イグナシオ・チェラとともに決勝に臨んだ。1勝1敗で臨んだ第3試合のダブルス戦で、カレリとナルバンディアンのペアはマラト・サフィン/ドミトリー・トゥルスノフ組にストレート負けしてしまう。第4試合でナルバンディアンが勝った後、最終第5試合でアカスソがサフィンに敗れ、アルゼンチンは優勝のチャンスを逃した。

2年後のデビスカップ2008でアルゼンチンはスペインとの決勝戦に勝ち進んだが、ここでもカレリとナルバンディアンが第3試合のダブルスでフェリシアーノ・ロペス/フェルナンド・ベルダスコの組に7-5, 5-7, 6-7, 3-6で敗れた。第1試合をナルバンディアンが取った後、20歳のフアン・マルティン・デル・ポトロが第2試合を落とし、アルゼンチンはホームコートで波に乗れずに、またしてもデビスカップ初優勝を逃した[1]

カレリはオリンピックのアルゼンチン代表選手としても、2004年アテネ五輪2008年北京五輪の2度出場経験がある。アテネではシングルスのみの出場であったが、北京ではシングルス・ダブルスの両方に出場した。

カレリは2010年に現役を引退した。

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 8回 (2勝6敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-1)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (2-0)
ATPインターナショナルシリーズ (0–5)
サーフェス別タイトル
ハード (0–1)
クレー (2-5)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2002年2月15日 ブエノスアイレス クレー ニコラス・マスー 6–2, 6–7(5), 2–6
優勝 1. 2003年3月2日 アカプルコ クレー マリアノ・サバレタ 7–5, 3–6, 6–3
準優勝 2. 2003年4月8日 エストリル クレー ニコライ・ダビデンコ 4–6, 3–6
準優勝 3. 2003年5月19日 ハンブルク クレー ギリェルモ・コリア 3–6, 4–6, 4–6
準優勝 4. 2004年3月1日 コスタ・ド・サイペ クレー グスタボ・クエルテン 6–3, 2–6, 3–6
準優勝 5. 2005年7月25日 アメルスフォールト クレー フェルナンド・ゴンサレス 5–7, 3–6
優勝 2. 2006年7月24日 キッツビュール クレー フアン・イグナシオ・チェラ 7–6(9), 6–2, 6–3
準優勝 6. 2006年8月28日 ニューヘイブン ハード ニコライ・ダビデンコ 4–6, 3–6

ダブルス: 4回 (3勝1敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2003年2月17日 ビニャ・デル・マール クレー マリアノ・フッド フランティシェク・チェルマク
レオシュ・フリードル
6–3, 1–6, 6–4
優勝 2. 2005年10月31日 バーゼル カーペット(室内) フェルナンド・ゴンサレス ステファン・フース
ウェスリー・ムーディ
7–5, 7–5
優勝 3. 2008年2月24日 ブエノスアイレス クレー ルイス・オルナ ヴェルナー・エシャウアー
ピーター・ルクザック
6–0, 6–7(6), [10–2]
準優勝 1. 2008年3月2日 アカプルコ クレー ルイス・オルナ オリバー・マラチ
ミハル・メルティナク
2–6, 7–6(3), [7–10]

  1. ^ 2度の決勝戦の結果:20062008


「アグスティン・カレリ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アグスティン・カレリ」の関連用語

アグスティン・カレリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アグスティン・カレリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアグスティン・カレリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS