ギリェルモ・コリアとは? わかりやすく解説

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ギリェルモ・コリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/06 01:49 UTC 版)

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ギリェルモ・コリア
Guillermo Coria
ギリェルモ・コリア
基本情報
フルネーム Guillermo Sebastián Coria
国籍 アルゼンチン
出身地 同・ルフィーノ
居住地 同・ベナード・トゥエルト
生年月日 (1982-01-13) 1982年1月13日(36歳)
身長 175cm
体重 69kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2009年
ツアー通算 9勝
シングルス 9勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 228勝139敗
シングルス 218勝114敗
ダブルス 10勝25敗
生涯獲得賞金 $5,915,620
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2003・05)
全仏 準優勝(2004)
全英 4回戦(2005)
全米 ベスト8(2003・05)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2003)
全英 1回戦(2004)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 3位(2004年5月3日)
ダブルス 183位(2004年3月1日)

ギリェルモ・セバスティアン・コリアGuillermo Sebastián Coria, 1982年1月13日 - )は、アルゼンチン・ルフィーノ出身の元男子プロテニス選手2004年全仏オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは3位。身長175cm、体重69kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス9勝を挙げた(ダブルス優勝はない)。同国のライバル、ダビド・ナルバンディアンとは年齢も同じで、幼少時からしのぎを削ってきた。名前はアルゼンチンの男子テニス選手、ギリェルモ・ビラスGuillermo Vilas)にあやかって「ギリェルモ」と命名された。

経歴

テニスコーチであった父親オスカーは、長男がよちよち歩きのうちからテニスを教え始めたという。1999年全仏オープン男子ジュニア部門でダビド・ナルバンディアンを破って優勝し、2000年にプロ入り。

2003年のシーズンに急成長を始め、年間5勝を挙げて世界ランキングトップ10に入る。この年に初めて全仏オープンの準決勝に進出を果たし、幼い頃から憧れてきたアンドレ・アガシを準々決勝で破ったが、続く準決勝でマルティン・フェルケルクに6-7, 4-6, 6-7のストレートで敗れた。

2004年全仏オープンに第3シードで出場し、準々決勝でカルロス・モヤ、準決勝でティム・ヘンマンを破って念願の決勝進出を果たす。決勝はノーシードから勝ち上がったガストン・ガウディオとの“アルゼンチン対決”になった。コリアが先に6-0, 6-3 2セットを奪ったが、勝利が目前に見えてきたところで、ガウディオが土壇場から反撃を開始し、6-4, 6-1で第3・第4セットを奪い返す。最終第5セットで、コリアに5本のマッチ・ポイントが訪れたが、ガウディオに6-8で押し切られて準優勝に終わった。

2005年全仏オープンは4回戦で止まったが、ウィンブルドン選手権4回戦進出と全米オープンベスト8がある。

2006年はセカンドサーブに苦しみ不調に陥る。更に春に右肩を痛め、得意とする全仏オープンを欠場した。故障は長引きウィンブルドン選手権も欠場、7月に復帰するも全米オープンは1回戦で途中棄権に終わった。その後長期離脱し、2007年9月には遂にランキングを失っている。

2008年2月にブラジル・オープンで、ATPツアーの大会では1年7ヶ月ぶりとなる勝利を挙げたものの、怪我の治療の為ツアーへの参加は断続的なものとなっており、ランキングも500位台までしか戻せなかった。2009年4月に引退を表明。

現在は地元アルゼンチンにテニスアカデミーを開校し、ジュニア・若手選手の育成、並びにマネージメントを行っている。

コリアは摂取したビタミン剤が原因でドーピング違反となり2001年8月から7カ月の出場停止処分を受けたことがある。名誉回復と慰謝料を求めて製造元の食品会社を提訴していたが、2007年に和解した[1]

プレースタイル

身長175cmと小柄だが、フットワークと変化をつけたストロークで活躍した。特にクレーコートを得意とし、ツアー9勝中8勝を挙げている。

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 20回 (9勝11敗)

大会グレード
グランドスラム (0-1)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (2-5)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (2-0)
ATPインターナショナルシリーズ (5–5)
サーフェス別タイトル
ハード (0–3)
クレー (8-7)
芝 (0-1)
カーペット (1-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年2月12日 ビニャ・デル・マール クレー ガストン・ガウディオ 4–6, 6–2, 7–5
準優勝 1. 2001年5月7日 マヨルカ クレー アルベルト・マルティン 3–6, 6–3, 2–6
準優勝 2. 2002年9月18日 コスタ・ド・サイペ ハード グスタボ・クエルテン 7–6(4), 5–7, 6–7(2)
準優勝 3. 2003年2月24日 ブエノスアイレス クレー カルロス・モヤ 3–6, 6–4, 4–6
準優勝 4. 2003年4月21日 モンテカルロ クレー フアン・カルロス・フェレーロ 2–6, 2–6
優勝 2. 2003年5月12日 ハンブルク クレー アグスティン・カレリ 6–3, 6–4, 6–4
優勝 3. 2003年7月14日 シュトゥットガルト クレー トミー・ロブレド 6–2, 6–2, 6–1
優勝 4. 2003年7月27日 キッツビュール クレー ニコラス・マスー 6–1, 6–4, 6–2
優勝 5. 2003年7月28日 ソポト クレー ダビド・フェレール 7–5, 6–1
優勝 6. 2003年10月12日 バーゼル カーペット (室内) ダビド・ナルバンディアン 不戦勝
優勝 7. 2004年2月16日 ブエノスアイレス クレー カルロス・モヤ 6–4, 6–1
準優勝 5. 2004年4月5日 マイアミ ハード アンディ・ロディック 7–6(2), 3–6, 1–6, 途中棄権
優勝 8. 2004年4月19日 モンテカルロ クレー ライナー・シュットラー 6–2, 6–1, 6–3
準優勝 6. 2004年5月17日 ハンブルク クレー ロジャー・フェデラー 6–4, 4–6, 2–6, 3–6
準優勝 7. 2004年6月7日 全仏オープン クレー ガストン・ガウディオ 6–0, 6–3, 4–6, 1–6, 6–8
準優勝 8. 2004年6月21日 スヘルトーヘンボス ミカエル・ロドラ 3–6, 4–6
準優勝 9. 2005年4月18日 モンテカルロ クレー ラファエル・ナダル 3–6, 1–6, 6–0, 5–7
準優勝 10. 2005年5月9日 ローマ クレー ラファエル・ナダル 4–6, 6–3, 3–6, 6–4, 6–7(6)
優勝 9. 2005年7月31日 ウマグ クレー カルロス・モヤ 6–2, 4–6, 6–2
準優勝 11. 2005年9月19日 北京 ハード ラファエル・ナダル 7–5, 1–6, 2–6

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 通算成績
全豪オープン A 2R A 4R 1R 4R 3R A A 9-5
全仏オープン 2R 1R 3R SF F 4R A A 1R 17-7
ウィンブルドン A 1R A 1R 2R 4R A A A 4-4
全米オープン LQ A 3R QF A QF 1R A A 10-4

脚注

外部リンク




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