三顧の礼とは? わかりやすく解説

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三顧の礼

読み方:さんこのれい
別表記:三顧

三顧の礼とは、目上の者が目下の者のもとに幾度も出向くなどして礼を尽くし物事を頼む、という意味の故事成語わかりやすく言うと、上司年長者目下相手軽んじることなく心から敬意払って頼みごとをするということである。「三顧」だけでも「三顧の礼」と同じ意味の表現として用いられるちなみに三顧」とは、3回わたって訪問するという意味である。

三顧の礼は、黄巾の乱平定し一大軍勢築いていた劉備が、無位無官かつ大幅に年下の(どう捉えて格下の)諸葛亮軍師として迎え入れるために、諸葛亮住まう庵を3度訪ねた、という故事由来となっている。

英語には「三顧の礼」に直接対応する表現は特になく、英語で表現するなら「最大限敬意を払う」という意を汲み show(ing) special courtesy とか with all eagerness のように意訳することになる

さんこ‐の‐れい【三顧の礼】

読み方:さんこのれい

三顧」に同じ。


三顧の礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 04:14 UTC 版)

三顧の礼(さんこのれい)は、故事成語のひとつ。目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。中国劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)を迎える際に三度訪ねたとする故事に由来する。


  1. ^ 柴田錬三郎『真説・豊臣秀吉』


「三顧の礼」の続きの解説一覧

三顧の礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 13:46 UTC 版)

劉備」の記事における「三顧の礼」の解説

詳細は「三顧の礼」を参照 劉表から新野城(現在の河南省南陽市新野県)を与えられ、ここに駐屯して夏侯惇于禁の軍を博望坡にて撃破した。しかし、劉備元に集まる人が増えたことで、劉表劉備猜疑するようになったまた、劉表外征に熱心ではなかったため、曹操烏丸討伐の隙をついて許昌襲撃するようにという劉備進言劉表受け入れられなかった。 この時期エピソードとして「ある宴席で、劉備が厠に行った後に涙を流して帰ってきたどうしたのかと劉表聞くと『私は若い頃から馬の鞍に乗っていたので髀(もも)の肉は全て落ちていました。しかし今、馬に乗らなくなったので髀に肉が付いてしまいました。既に年老いて何の功業挙げていないので、それが悲しくなったのです』と答えた」という話がある(裴松之が注に引く『九州春秋』より)。この事から髀肉之嘆(ひにくのたん)という故事成語生まれたこの頃建安12年207年))、諸葛亮を三顧の礼にて迎え入れ、既に強大な勢力築いている曹操対抗するためには荊州と西の益州手に入れて天下三分割してその一つの主となり孫権協力して曹操立ち向かうべしという天下三分の計説かれた。 劉表没し劉表の後を継いだ劉琮曹操降伏した諸葛亮劉琮討って荊州奪ってしまえと進言したが、劉備は「忍びないと言って断り逃亡した劉備逃亡すると、劉琮配下周辺の住民10数万付いてきた。そのためその歩みは非常に遅く、すぐにでも曹操軍追いつかれそうであった。ある人が住民捨てて早く行軍し江陵確保するべきだと劉備進言したが、「大事を成すには人をもって大本としなければならない私についてきた人たちを捨てるのは忍びないと言って住民と共に行軍続けたその後曹操軽騎兵隊に追いつかれて大打撃を受け、劉備軍勢すら散り散り妻子離ればなれになり、2人の娘は曹純捕らえられるという悲惨な状況だった。ただし、趙雲乱戦のなか劉備の子阿斗(後の劉禅)と甘夫人救っている。 殿軍務めた張飛少数部隊時間稼ぎをし、関羽の軍と合流する事で態勢立て直し、さらに劉表長子劉琦の軍と合流した長坂の戦い)。 そして孫権陣営から様子見派遣されてきた魯粛面会し諸葛亮孫権の下に同盟使者として派遣する諸葛亮孫権説得成功して同盟を結び、建安13年208年)、赤壁の戦いにおいて曹操軍破った赤壁の戦いの後、劉備荊州南部占拠し劉琦上表して荊州刺史にたて、荊州の南の四郡(武陵長沙桂陽零陵)を併合したその後程なくして劉琦死去すると、家臣たちに推戴され荊州となった劉備荊州治めるようになると、潘濬を治中従事任じた。後に劉備が蜀に入ると、彼を荊州留めて州の事務の処理にあたらせた。 劉備荊州就任後劉備勢力拡大憂慮し孫権は、自らの妹(孫夫人)を劉備に娶わせ、さらに共同して西の蜀(益州)を獲ろうと申し出てきたが、劉備たちは蜀を分け取りにするよりも自分たちだけのものにしたいと考えたためこれを断った

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「三顧の礼」を含む「劉備」の記事については、「劉備」の概要を参照ください。


三顧の礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:13 UTC 版)

諸葛亮」の記事における「三顧の礼」の解説

華北ではこの頃建安5年200年)に曹操袁紹打ち破って覇権手中にし、南進機会窺っていた。劉備袁紹陣営離れて劉表頼り荊州北部新野現在の河南省南陽市新野県)に居城貰っていた。 諸葛亮前述のように晴耕雨読日々送っていたが、友人徐庶劉備の下に出入りして諸葛亮のことを劉備話した人材求め劉備徐庶諸葛亮連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備3度諸葛亮の家に足を運び、やっと迎えることができた。これが「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備人物鑑定家として有名な司馬徽訪ね司馬徽は「時勢識る俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、即ち諸葛亮龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備訪ねたという話が載っていたという。その後裴松之自身の案語として「「出師表」には明らかに劉備諸葛亮訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説立てるとは、実に訳の分らぬ話である」とある。この時、諸葛亮劉備に対していわゆる天下三分の計」を故事習って示し曹操孫権と当たることを避けてまず荊州益州領有しその後天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備諸葛亮見識認め軍師中郎将(中佐)左将軍府事(防衛省作戦課長)任じた、また諸葛亮劉備に仕えることを承諾した。これを「孔明出廬」という。

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三顧の礼

出典:『Wiktionary』 (2017/10/14 12:04 UTC 版)

成句

さんこのれい

  1. 組織率いるものが、才能のある者を、礼を尽くし辞を低くして招くこと。

由来

出典

類義語

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