Moods
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「ルイーザ・メイ・オルコット」の記事における「Moods」の解説
『Moods(気まぐれ)』は、オルコットが真剣に書き、愛着を持っていた特別な作品であり、経済的理由ではなく、内発的な理由によって執筆された作品であると考えられ、第二版の序文で「その後のどんな作品にもない愛と苦心と熱狂がこの本には込められた」と語っている。初版と約20年後の第二版で大幅な変更が行われた。現在では両方の版が出版されている(邦訳なし)。タイトルはエマーソンのエッセイ「経験」から取られ、その「人生は一連の数珠にも似て、さまざまな気分の連続である」という言の応用が試みられた。マデレイン・B・スターンは、「狂暴さと死と知性的な愛の物語」であるとしている。 『若草物語』のマーチ家のジョーにも似た活発な少女シルヴィアは、野性的で夢想的なアダム・ウォリックに恋する。(ウォリックのモデルは、ソローであると言われる。)シルヴィアはウォリックへの恋を叶わぬものとあきらめ、彼女に求婚したウォリックの親友で温和なジェフリー・ムアと結婚する(ムアの一面は、エマーソンがモデルとされれていると言われる)。その後久しぶりに再会したウォリックに、かつて自分もシルヴィアを愛していたが、ムアのために身を引いたと告げられ、ウォリックへの恋が再熱し、ムアへの愛が友愛以上でなかったことに気が付き、苦しむ。ムアは沈み込むシルヴィアを問い詰め、彼女はウォリックへの愛ゆえに苦しんでいることを告白する。ムアのシルヴィアへの愛は変わらないが、一時的に二人は別居する。 シルヴィアは信頼する年長の友人フェイス(「私の逃亡奴隷兵」の語り手と同じ人物)に、結婚するならロマンティックで観念的なウォリックより、安定したムアの方が望ましいと忠告される。ウォリックとムアはヨーロッパへの旅で友情の危機を乗り越えるが、帰路の事故でウォリックは死に、ムアだけがシルヴィアの元に戻る。 初版では、シルヴィアは帰ってきたムアを心から受け入れることができず、そのことに苦しみ、衰弱して死んでしまう。第二版では、さらにフェイスとの道徳的な対話が行われ、シルヴィアは自分の情熱的な気質、「気まぐれ」を戒めて、「徳義」に従い、義務に従ったムアとの平和な暮らしを望むようになり、帰ってきたムアを受け入れハッピーエンドになる。 初版の出版当時、一般の読者から出版社に、妻となった後に夫以外への愛に目覚めるヒロインは不謹慎、不道徳だという非難が多く寄せられたが、このエピソードは、本作の時代に先駆けた近代性を示唆しているともいえる。平石貴樹によると、雑誌等に掲載された書評はおおむね好意的だった。雑誌「ハーパーズ」の書評では、「高潔な人物像の中で相克する情熱を、非常に繊細にまた巧妙に描いた」作品であり、「ホーソーンの作品以外にこれほど強力な愛の物語を思い出せない」と称賛された。この書評の筆者が、本作においてアメリカ特有のロマンス的なリアリズム小説が成立していると考えていたことがうかがえる。しかし、その後の『若草物語』の爆発的な成功で、『Moods(気まぐれ)』の功績は忘れられてしまった。 フェイスの思想に注目し、本作を「超絶主義的小説」と形容して評価する書評もあった。 例外的な酷評が、まだ作家として本格的にデビューしていない若いヘンリー・ジェイムズであり、オルコットは道徳や形而上学を尊重しているが、それらはリアリズムと両立しないと判断し、厳しく批判した。彼は女性作家に対して否定的で、多くの女性作家は共通の特徴(=欠陥)を持つと考えていたが、オルコットもそのひとりとして扱い、女性作家は一般に現実を知らない、リアリズムを知らない、といった論調で本作を批評した。
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