Mr.エスパルスとして(キャリア晩年)
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「澤登正朗」の記事における「Mr.エスパルスとして(キャリア晩年)」の解説
2003年は第1回大会のAFCチャンピオンズリーグに出場。日本代表の三都主アレサンドロや、韓国代表のアン・ジョンファンを擁する清水であったが、ベスト16で敗退。澤登は準々決勝リーグ1試合出場1得点をマークした。 2004年12月4日、新潟県中越地震チャリティーマッチにジーコジャパンドリームチームの一員として出場。 2005年3月5日、開幕戦のサンフレッチェ広島戦では、J1リーグ13年連続得点を記録。後半23分に久保山由清からクロスボールを受けてペナルティーエリア内でワントラップ、ゴール左隅にシュートを決め、長谷川健太監督が率いる清水のリーグ戦初ゴールとなった。 2005年11月23日、敗れると入れ替え戦の危機となった第32節ヴィッセル神戸戦、後半44分に澤登が左足で放った強烈なシュートでマルキーニョスの決勝点を演出。日本平スタジアム通算100勝を達成し、J1残留を決定的なものとした。試合後に今シーズン限りでの引退を発表。翌日記者会見を行った。 2005年11月26日の第33節鹿島アントラーズ戦では、先発で69分間プレーし、ロングパスで2点目の起点となる活躍。試合終了後に引退セレモニーが行われた。「輝いているうちに引退したいと決めていた」「14年間、エスパルス一筋でやれたことは誇り、経営危機で消滅してしまうんじゃないかという状況もあったが、いろいろな方々の支えを受けて、新しいチームとして生まれ変わって、新しい歴史をつくれた」「若い選手は、自分達がエスパルスを支えていくんだという気持ちで、ベテランはそれに負けてはいけない、サポーターの皆さんはエスパルスをこれからも愛していってほしい」等の言葉を残し、日本平スタジアムに残った鹿島サポーターからも「澤登」コールが起こるなど、温かい声援に包まれた引退セレモニーとなった。 2005年11月30日、今後の清水エスパルスのために、一人でも多くの選手に試合経験を積んで欲しいという思いから、最終節と天皇杯には出場しないことを表明し、現役を引退した。 引退した2005年シーズン終了時の、J1リーグ戦通算出場試合数は歴代1位であった。また、公式戦通算115得点、J1リーグ戦通算85得点は清水エスパルスのトップスコアラー(継続中)であり、Jリーグ創設の1993年から2005年まで、同一クラブのみで13年連続ゴールを決めているただ一人の選手である。 2006年の元日は国立競技場のスタンドから、清水エスパルスの天皇杯決勝を見届けた。決勝の対戦相手の選手であった元チームメイトの三都主アレサンドロは、「(プロとして)僕が今ここにいる半分はあの人のおかげ。(新人時代の)98年、99年のアシスト、得点はほとんどノボリさんからだった」と試合前のインタビューで感謝の言葉を贈っている。 デビュー以来一貫して清水に所属し第一線で活躍。その功績を賞して、2007年1月21日に日本平スタジアムで清水エスパルスの選手として初めて引退試合を行った。引退試合で販売された記念商品(オフィシャルグッズ)の数々には、“Mr. S-PULSE”の文字が記されていた。
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