2015年 世界4位 アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破
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「錦織圭」の記事における「2015年 世界4位 アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破」の解説
1月、ブリスベン国際ではアレクサンドル・ドルゴポロフとダブルスに出場し、ダブルスでは初のATPツアー決勝進出を果たした。(結果は準優勝) 第2シードで出場したシングルスではベスト4に進出。全豪オープンは第5シードで臨み、ニコラス・アルマグロ、イワン・ドディグ、スティーブ・ジョンソン、フェレールを倒し全豪では3年ぶり2度目、4大大会では3度目のベスト8に進出。落としたセットを2つに抑えた好調な試合を続けていたが、昨年全豪覇者のスタン・ワウリンカに3-6, 4-6, 6-7(6)でストレート負けを喫し、自身初の全豪オープンベスト4入りはならなかった。 2月、メンフィス・オープンでは決勝までの全ての試合を逆転勝ちしたが、決勝ではケビン・アンダーソンを6-4, 6-4のストレートで下して自身初(大会としても初めて)の3連覇を果たした。アビエルト・メキシコ・テルセルでは1回戦でアレハンドロ・ゴンサレスに勝利し、ATPツアー通算200勝を挙げた。準決勝では世界ランク15位で第4シードのケビン・アンダーソンに勝利し決勝進出。この時点で3月2日発表の世界ランキングで自己最高の4位になることが確定した。決勝戦では大会前から発症していたインフルエンザの影響もあり第2シードのフェレールに3-6, 5-7のストレートで負け、フェレールへの連勝記録も5で止まる形になってしまった。 3月、デビスカップワールドグループ1回戦カナダ戦はシングルス2試合に出場しバセク・ポスピシル、ラオニッチに勝利するも、日本チームは2勝3敗で敗退した。3月18日、BNPパリバ・オープンでは自己大会記録の4回戦に進出するもフェリシアーノ・ロペスに敗れた。3月24日から始まるマイアミ・オープンではフェデラーが欠場のためマスターズ1000では自身初となる第4シードでの出場となった。準々決勝まで進出するもジョン・イスナーに敗れた。 4月、前回優勝したバルセロナ・オープンでは第1シードで出場。決勝でパブロ・アンドゥハルに勝利し2連覇。また、ATPツアー優勝9回はクルム伊達公子を抜き日本人最多記録。5月、前回準優勝のマドリード・オープンではフェレールらを破りベスト4に進出するもマリーに敗れた。BNLイタリア国際では初の準々決勝に進出するが第1シードジョコビッチに3-6, 6-3, 1-6で敗れた。 全仏オープンは第5シードで出場。4回戦でティムラズ・ガバシュビリに勝利し、全仏男子シングルスで日本人としては1933年の佐藤次郎以来82年ぶりの準々決勝進出を果たした。準々決勝では第4シードのトマーシュ・ベルディハを倒して勝ち上がってきた第14シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに1-6, 4-6, 6-4, 6-3, 3-6の4時間に及ぶフルセットで敗れ、自身初の全仏ベスト4とはならなかった。6月10日、フォーブスが発表する「世界で最も稼ぐスポーツ選手」2015年版ランキングで92位にランクインした(1950万ドル, 約23億円)。日本人では田中将大(58位)に次ぐ2位。6月22日、獲得賞金ランキングが発表され1,914,692ドル(約2億3千万円)で前回と同じく7位となった。全仏オープン後の初戦となったゲリー・ウェバー・オープンではロジャー・フェデラーに次ぐ第2シードとして出場。準々決勝でのイェジ・ヤノビッチ戦でフルセットの末勝ち上がりはしたものの、左ふくらはぎの筋膜炎を試合後に発症させ、準決勝でのアンドレアス・セッピ戦で第1セット1-4となったところで棄権を申し入れた。そして、体調を不安視されて迎えたウィンブルドン選手権では日本男子、そして自身最高位の第5シードで出場し、初戦のシモーネ・ボレッリを3時間超のフルセットで下した。この勝利により、松岡修造の持つウィンブルドン選手権での通算7勝を更新して日本人歴代最多記録とし、同時に生涯獲得賞金としてもアジア選手初の1,000万ドル(約12億円)突破を果たした。同大会2回戦はサンティアゴ・ヒラルドとの対戦であったが、負傷箇所が悪化して棄権を申し入れた。なお、アジアの国出身ではないものの、アジア系外国人の選手の間では、アジア系(台湾系)米国人のマイケル・チャンが、初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破を果たした。 怪我明けのシティ・オープンでは第2シードとして出場、準決勝で前年の全米オープンの決勝で敗れたチリッチに3-6, 6–1, 6-4で勝利し、雪辱を果たした。また決勝では、同年のマイアミ・オープン準々決勝で敗れたイスナーに4-6, 6-4, 6-4で勝利し、雪辱を果たし、シティ・オープン初優勝を飾った。この勝利により8月10日発表の世界ランキングで自己最高タイの4位に復帰した。ロジャーズ・カップでは第4シードで出場し、準々決勝で過去0勝7敗のナダルに6-2, 6-4のストレートで初勝利を飾る。しかし準決勝でマリーには連戦の疲労蓄積で左臀部を痛めた影響もあり3-6, 0-6で敗れ、そのため翌週のウエスタン・アンド・サザン・オープンは全米オープンを見越し体力回復を努めるため欠場した。そのウエスタン・アンド・サザン・オープンでスタン・ワウリンカがジョコビッチに敗れたため、全米オープンでグランドスラムでは日本人初となる第4シードが確定した。しかしながら自身も好調と語り臨んだ全米オープンでは、初戦でブノワ・ペールに対して、2度のマッチポイントを握りながらも4-6, 6-3, 6-4, 6-7(6), 4-6とまさかの敗戦。前年度に準優勝した大会で、初日に初戦敗退という結果となってしまった。 9月、デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフのコロンビア戦に自身初の最年長として選出された。18日のシングルス第2戦ではアレハンドロ・ファジャに7-6, 7-6, 7-5で勝利。19日に行われたダブルスを落として後がなくなった日本であったが、20日のシングルスで錦織とダニエル太郎が勝利してワールドグループ残留を果たした。 連覇を目指した楽天ジャパン・オープンでは準決勝に進出するも、再びブノワ・ペールに敗れた。上海マスターズでは3回戦でケビン・アンダーソンに敗れた。スイス・インドアは肩の怪我のため欠場したが、同大会でレースランキング9位のリシャール・ガスケがナダルに敗れ、ポイントで錦織を上回れなくなったため、2年連続のATPワールドツアー・ファイナルズ出場が決まった。翌週のBNPパリバ・マスターズでは3回戦で過去5戦全敗のガスケと対戦。6-7(3), 1-4の第2セット第6ゲーム途中で棄権。対ガスケ初勝利はまたしてもならなかった。 11月、2年連続出場のATPワールドツアー・ファイナルズでは、初戦でジョコビッチに1-6, 1-6で完敗した。第2戦ではトマーシュ・ベルディハに7-5, 3-6, 6-3で2時間23分の激戦を制した。最終戦ではフェデラーから第2セットで1-4から5ゲーム連取して第2セットを取るなど、2時間10分の大接戦を繰り広げるも5-7, 6-4, 4-6で敗れ、準決勝進出はならず今シーズンが終了した。年間最終ランキングは8位。 シーズン終了後にATPの公式サイトで行われた投票によって、8月のロジャース・カップ3回戦のダビド・ゴファン戦でのゴファンの頭上を抜いた股抜きロブが2015年のベストプレーに選出された。
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