1974年の水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:54 UTC 版)
座標: 北緯35度37分24.25秒 東経139度34分34.55秒 / 北緯35.6234028度 東経139.5762639度 / 35.6234028; 139.5762639 1974年9月1日から3日にかけて、台風16号のもたらした豪雨で、多摩川が増水した。狛江市では左岸の堤防が260メートルにわたって決壊し、宅地3000平方メートルが濁流にえぐり取られ、住宅など19戸が流された。幸いにも住民は避難を終えており、死傷者は1人もいなかった。マイホームが庶民の夢であった当時、多摩川沿いの洒落た住宅が、次々と流されていく光景は、そんな人々の夢を打ち砕く、残酷なものだった。 流出直前には惨状を見かねた陸上自衛隊と警視庁機動隊の隊員が突入し、一部の家屋については家財道具搬出を行った。指揮官は「電化製品には手を出すな、タンスの引き出しごと運び出せ」と指示した。このほか被害拡大を防ぐため、陸自施設大隊と建設省によって築堤爆破が決行された。このオペレーションは河川内の堰堤(宿河原堰若しくは二ヶ領宿河原堰ともいう)が濁流となった水流を阻害し、決壊を助長していたため実行に移され、9月2日、陸自部隊が千葉県館山からヘリコプターで爆薬を運び、堰堤の上に土のうで押さえての爆破を試み、破壊口が開いたものの水の流れにほとんど変化は見られず、コンクリートの破片で付近の住宅は被害を受けてしまった。続いて9月3日には、建設省が爆破を試みるが効果はなく、9月4日、同省は今度は場所を変え、堰堤に穴を開け、火薬を詰め込んでの爆破を試みたところ、午後8時、この日6回目の爆破により堰堤に破壊口が開き、そこから水が流れ始め爆破は成功した。これにより本流側への流路を確保するとともに更なる被害拡大は阻止された。
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