-61/-62型の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/21 08:16 UTC 版)
長胴型の-61は1969年4月1日、コンベア880-22M型に替わって東南アジア線(東京=香港=シンガポール=ジャカルタ)に就航した。またオールエコノミーで252席のキャパシティを有する-61型の国内線仕様は、高度成長期真っ只中に開催された大阪万博開催の年である1970年4月1日に、羽田=札幌線、羽田=大阪(伊丹線)に投入され、激増する国内旅客需要への対応に貢献した。 -61型の中には「EALタイプ」と呼ばれる機体があり、これは日本航空がアメリカのイースタン航空より購入またはリースしたものであった(リース機は契約終了後に購入または再リースされ、その結果日本航空が所有した-61型のEALタイプは合計14機にのぼる)。イースタン航空においてアメリカ国内線で運航していた機体をそのまま使用しており、長距離飛行に必要な航法装置(INS、ONS、ドップラーナビゲーション)が装備されておらず、その他のシステムもJALで使用している機体と若干違いがあったため、パイロット泣かせの機体であったという。 また、-62型はその航続性能を活かして1968年6月16日にアメリカ西海岸直行線(東京=サンフランシスコ)を皮切りに、モスクワ経由ヨーロッパ線やサンパウロ線、バンクーバー経由メキシコシティ線などの長距離路線に就航した。特に、1970年3月28日に開設された世界初の西側航空会社の自主運航によるシベリア上空を通過するモスクワ線は、これまでアラスカのアンカレジ経由で運航していたヨーロッパの主要都市への飛行時間と距離の短縮に寄与すると共に、長距離ノンストップ便のさきがけとなった。
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