用日
用日
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用日 (ようにち、韓国語:용일〈日本語音写例:ヨンイル) とは、日本および日本人に対する(20世紀・21世紀の)朝鮮人の考え方・向き合い方の一つであり、うまく交流してせいぜい利用することで利益を得るべきというもの。
- ^ [1]「朴正煕氏の評価、半世紀で一変 始まりは“用日” 残された“反日”」,産経ニュース,2015年6月18日
- ^ a b [2]
- ^ [3]「【社説】政府、「用日」の世論に耳を傾けるべき」,産経ニュース,2014年1月9日.
- ^ “【日韓国交正常化50年】朴正煕氏の評価、半世紀で一変 始まりは“用日” 残された“反日”(3/4ページ)”. 産経ニュース . 産経デジタル (2015年6月18日). 2020年8月16日閲覧。
- ^ 「売国奴」と言われた朴正煕が称賛される理由
- ^ “日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない! (3/3)”. WEB Voice. PHP研究所 (2015年6月24日). 2020年8月16日閲覧。
- 1 用日とは
- 2 用日の概要
用日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:44 UTC 版)
金完燮『日韓「禁断の歴史」』によれば、福田赳夫が韓国を訪問した際、酒席において日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている最中、韓国側のある高官が過去の日本統治時代を批判する旨の発言を始めたところ、その高官をなだめた上でこう語っていた、としている。 日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。 — 金完燮 日韓「禁断の歴史」p.212 小学館 2003年10月 ISBN 4093896518 また、無名の若者たちが国の近代化を推し進めた明治維新を「明治維新の志士を見習いたい」と称賛していた。特に、中心人物の一人である西郷隆盛を尊敬し、西郷が語った「子孫のために美田を買わず」という言葉を好んで使っていた。 日韓国交正常化のための日韓基本条約の立役者で朴大統領の命令で日本側と秘密交渉に当たった大韓民国中央情報部初代部長を務めた金鍾泌は「反日より用日こそが困難な道」という話をよく朴大統領と交わしていたほど朴は用日をするために国内(後述の反日教育)を隠して日本側と接触する時には親日だと錯覚させる言動をして日本側を欺いていた。朴は巧みな話術で日本側の信頼を得て、日韓基本条約で得た莫大な資金・投資・技術供与、アメリカ・ヨーロッパの援助を元手に経済優先するなど親日派の振りをして経済協力を引き出す用日に非常に卓越した人物だった。
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