鹿児島県立加治木中学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 鹿児島県立加治木中学校の意味・解説 

鹿児島県立加治木中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:33 UTC 版)

鹿児島県立加治木高等学校」の記事における「鹿児島県立加治木中学校」の解説

1896年4月 - 校舎起工1897年4月21日 - 落成式兼ねて開校挙行第一分校より1週間遅れ)。鹿児島県尋常中学校第二分校称す生徒定員300名。 1898年4月 - 鹿児島県第三尋常中学校称す生徒定員400名。 1899年2月 - 鹿児島県第三中学校改称1901年9月 - 鹿児島県立加治木中学校と改称1902年3月29日 - 第1回卒業式挙行 1908年4月 - 生徒定員600名に増加1910年4月23日 - 学有設置 鹿児島県郷友会加治木支部寄付姶良郡溝辺町有川小鹿倉3169番地原野14.2町歩を県より交付1916年3月20日 - 生徒定員800名に増加1928年4月1日 - 生徒定員1,000名に増加1929年9月7日 - 御大典記念として上水道施設。(537間)25mプール完成1945年8月11日 - 戦災により全校焼失1945年10月1日 - 隼人青年学校、富隈国民学校帖佐国民学校分散授業開始1945年12月1日 - 牧園分校開校式。 1945年12月6日 - 隼人町真孝海軍倉庫跡に全校生徒収容授業開始加治木本校校舎復興建築第一期工事起工式1947年4月8日 - 蒲生分校開校式。 1947年8月31日 - 第一期工事竣工1947年9月2日 - 加治木本校3、45年生復帰授業開始1947年9月15日 - 第二期工事竣工1948年1月8日 - 2年生本校復帰1948年2月9日 - 蒲生分校閉鎖1948年4月1日 - 学制改革により鹿児島県加治木高等学校第二部となる。

※この「鹿児島県立加治木中学校」の解説は、「鹿児島県立加治木高等学校」の解説の一部です。
「鹿児島県立加治木中学校」を含む「鹿児島県立加治木高等学校」の記事については、「鹿児島県立加治木高等学校」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鹿児島県立加治木中学校」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿児島県立加治木中学校」の関連用語

鹿児島県立加治木中学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿児島県立加治木中学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鹿児島県立加治木高等学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS