高野山電気鉄道在籍時とは? わかりやすく解説

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高野山電気鉄道在籍時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 04:33 UTC 版)

高野山電気鉄道101形電車」の記事における「高野山電気鉄道在籍時」の解説

新造時高野下以南自社線内のみの運行であったが、南海鉄道への乗り入れ開始後は難波 - 極楽橋間の直通運転通称大運転」)の主力となった1943年南海鉄道堺東車庫火災でデ101全焼したが、焼け残った構体利用して復旧された。ただし、資材不足の時期であったことから半鋼製車体、片隅運転台ヘッドライト1個となった。このほか戦時中にデ105107正面衝突により破損して走行不能となる、といったトラブル発生したが、全車戦災遭うことなく戦時乗り切ったこの間1944年南海鉄道戦時統合により近畿日本鉄道近鉄)の難波営業となっていたが、高野山電気鉄道統合対象外であったため相互乗り入れ相手社名変わっただけであった終戦時相互乗り入れ縮小され近鉄橋本駅 - 極楽橋駅間の折り返し運転使用されていた。 戦後になって1946年にデ103104の2両が難波営業局の車両不足を理由として近鉄移籍しモハ561561・562(いずれも初代)となった。この形式南海鉄道時代以来搭載主電動機出力冠する形式命名ルールに従って与えられたものであった。これら2両は1947年6月南海近鉄分離することとなったため、帳簿上の処理を簡素化すべく、事前に高野山電気鉄道復籍旧車番に戻された。南海近鉄分離にあたり、その準備として1947年3月高野山電気鉄道南海電気鉄道社名変更したためこの時点デ101形デニ501形とも南海所属となったことになるが、実態としては同年6月南海電気鉄道近鉄から難波営業局所路線譲渡され時点で両形式とも高野山電気鉄道から南海引き継がれたといえよう

※この「高野山電気鉄道在籍時」の解説は、「高野山電気鉄道101形電車」の解説の一部です。
「高野山電気鉄道在籍時」を含む「高野山電気鉄道101形電車」の記事については、「高野山電気鉄道101形電車」の概要を参照ください。

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