青年将校の政治化とは? わかりやすく解説

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青年将校の政治化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「青年将校の政治化」の解説

陸軍将校は、教育歴が陸軍士官学校陸士止まりの者と、陸軍大学校陸大)へ進んだ者たちの間で人事上のコース分けられていた。陸大出身者将校団の中のエリートグループ作り陸軍省参謀本部教育総監部中央機関中心に勤務する一方で陸大出ていない将校たちは慣例上、参謀への昇進の道を断たれており、主に実施部隊の隊付将校として勤務したエリートコースから外れたこれらの隊付将校多くが、高度に政治化された若手グループ(しばしば「青年将校」と呼ばれるが、警察憲兵隊からは「一部将校」と呼ばれる)を作るようになっていった。 隊付将校政治的な思想を持つに至った背景一つには、当時農村漁村窮状がある。隊付将校は、徴兵によって農村漁村から入営してくる兵たちと直に接す立場であるがゆえに、兵たちの実家農村漁村窮状知り憂国の念を抱いた。 たとえば、二・二六事件参加した高橋太郎(事件当時少尉)の事件後の獄中手記に、高橋歩兵第3連隊第一中隊初年兵教育であったときを回想するくだりがある。高橋初年兵身上調査面談家庭事情聞くと、兵が「姉は…」といって口をつぐみ、下を向いて涙を浮かべる高橋は、兵の姉が身売りされたことを察してそれ以上聞かず初年兵調査このような情景繰り返されることに暗然として嘆息する高橋は「食うや食わず家族を後に、国防第一線に命を致すつわもの、その心中如何ばかりか。この心情泣く幾人かある。この人々に注ぐ涙があったならば、国家現状このままにはして置けない筈だ。殊に為政重職に立つ人は」と書き残している。 また、1933年昭和8年11月偕行社(陸軍将校クラブ)で皇道派統制派の両派の中心人物集まって会談した際、統制派武藤章らが「青年将校勝手に政治運動をするな。お前ら考えている国家改造革新は、自分たちが省部の中心になってやっていくからやめろ」と主張した際、青年将校たちはこう反駁した。「あなた方陸大出身エリートには農山村漁村本当苦しみ判らない。それは自分たち、兵隊日夜訓練している者だけに判るのだ」。 こうした農村漁村窮状対す憂国の念が、革命的な国家社会主義者北一輝の「君側の奸思想の影響受けていった。北が著した日本改造法案大綱』は「君側の奸」の思想の下、君側の奸倒して天皇中心とする国家改造案を示したものだが、この本は昭和維新夢見る青年将校たちの聖典だった。『日本改造法案大綱』の「昭和維新」「尊皇討奸」の影響受けた安藤輝三野中四郎香田清貞栗原安秀中橋基明丹生誠忠磯部浅一村中孝次らを中心とする尉官クラス青年将校は、上下一貫左右一体を合言葉に、政治家財閥系大企業との癒着はじめとする政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況等の現状打破して特権階級排除した天皇政治実現を図る必要性声高に叫んでいた。 青年将校たちは、日本直面する多く問題は、日本が本来あるべき国体から外れた結果だと考えた(「国体」とは、おおよそ天皇国家の関係のあり方意味する)。農村地域広範にわたる貧困もたらしている原因は、「特権階級」が人々搾取し天皇欺いて権力奪っているためであり、それが日本弱体化させていると考えた。彼らの考えでは、その解決策70年前の明治維新モデルにした「昭和維新」を行う事であった。すなわち青年将校たちが決起して君側の奸」を倒すことで、再び天皇中心とする政治立ち返らせるその後天皇陛下が、西洋的な考え方と、人々搾取する特権階層一掃し国家繁栄回復させるだろうという考え方である。これらの信念当時国粋主義者たち、特に北一輝政治思想影響強く受けていた。 緩やかにつながった青年将校グループ大小さまざまであったが、東京圏将校たちを中心に正式な会員が約100名ほどいたと推定されている。その非公式リーダー西田税であった。 元陸軍少尉北一輝門弟であった西田は、1920年代後半から急増した民間国粋主義的な団体著名なメンバーとなっていった。彼は軍内の派閥を「国体原理派」と呼んだ1931年昭和6年)の三月事件十月事件続いて当時政治的テロ大部分少なくともある程度関与したが、陸軍海軍メンバー分裂し民間国粋主義者たちとの関係を清算した皇道派国体原理派の関係の正確な性質は複雑である。この二派は同じグループされたり、より大きなグループ構成する2つグループとして扱われることも多い。しかし、当時メンバーたちの証言書き残されたものによると、この二派は現実別個のグループであって、それらが互恵的同盟関係にあったことが分かる皇道派国体原理派隠蔽しつつ、彼らにアクセス提供する見返りとして、急進的な将校たちを抑えるための手段として国体原理派利用していた。

※この「青年将校の政治化」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「青年将校の政治化」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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