りくぐん‐しょうねんひこうへいがっこう〔‐セウネンヒカウヘイガクカウ〕【陸軍少年飛行兵学校】
東京陸軍航空学校
(陸軍少年飛行兵学校 から転送)
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東京陸軍航空学校(とうきょうりくぐんこうくうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。東航校または東航と略される場合がある。航空兵科現役下士官となる少年飛行兵を志願した10代の生徒に基本教育を行った。1937年(昭和12年)12月に設立され、学校本部および本校は東京府北多摩郡(現在の武蔵村山市)に置き、生徒数の増加に対応するため1942年(昭和17年)10月、滋賀県大津市に大津教育隊を置いた。
注釈
- ^ 「一号軍備計画」と通称される。
- ^ 飛行教育隊とは航空兵科の初年兵を集め、軍人としての基本教育を数か月間行う部隊のこと。のちに航空教育隊に改称される。『陸軍航空史』286-287頁
- ^ 操縦生徒だけでも1936年の年間約100名を、約480名(1年2期制、各期約240名)へ増員する計画であった。『陸軍航空史』304頁
- ^ 陸軍では下士官からが部隊の幹部とされた。
- ^ 隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁
- ^ 陸軍の諸学校における幹事は事実上の副校長である。
- ^ 材料廠(ざいりょうしょう)とは、器材の修理、補給、管理などを行う部署のこと。
- ^ 召募(しょうぼ)とは募集のこと。陸軍では召募の表現を使った。
- ^ 主として整備を行う分科を技術と呼んだ。
- ^ 改正された陸軍諸学校生徒採用規則(陸軍省令第48号)第72条では入校年の3月31日を基準としているが、召募告示の内容では4月1日が基準となっている。
- ^ 同地が京都陸軍衛戍病院分院となる前は歩兵第9連隊兵営であった。
- ^ 軍令の名称は「陸軍航空諸学校、陸軍気象部等臨時編成要領」。
- ^ ここでいう軍隊とは、陸軍全体を「軍隊」「官衙」「学校」「特務機関」の4つに類別した場合のひとつ。司令部を含めた師団等や部隊の総称と考えてよい。『陸軍読本』52頁
- ^ 教育綱領原文による。飛行教育隊は航空兵科初年兵を集め、軍人としての基本地上勤務教育を数か月間行う部隊のこと。のちに航空教育隊に改称された。
- ^ 音響通信(おんきょうつうしん)とはモールス信号通信のこと。
- ^ 典令範(てんれいはん)とは、陸軍の基本的教本である「操典」「教令」「教範」の総称。具体的には、航空兵操典(航空兵科に限る)、作戦要務令、体操教範、電信教範、など多数がある。『日本陸海軍総合辞典』720頁
- ^ 兵籍(へいせき)とは軍の構成員である身分のこと、軍人と生徒にわけられる。
出典
- ^ 『翼をささえて』22頁
- ^ 『陸軍航空史』306頁
- ^ 彙報 陸軍航空技術学校設置 『官報』第2577号、1935年8月5日
- ^ 彙報 熊谷陸軍飛行学校設置 『官報』第2682号、1935年12月10日
- ^ 『陸軍航空の軍備と運用 (2)』4-5頁
- ^ 『帝国陸軍編制総覧 第一巻』68-70頁
- ^ 『陸軍航空の軍備と運用 (1)』514-516頁
- ^ 「昭和12年「密大日記」第1冊(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01007514400
- ^ 『陸軍航空の軍備と運用 (2)』9-10頁
- ^ 『陸軍航空史』304頁
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- ^ 軍令 陸第21号 陸軍航空総監部令 『官報』第3580号、1938年12月09日
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- ^ 『陸軍少年飛行兵』8-9頁
- ^ 告示 陸軍省告示第45号 『官報』第5007号、1943年9月18日
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- ^ 『陸軍軍戦備』381-382頁
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- ^ 告示 陸軍省告示第37号 『官報』第5281号、1944年8月21日
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- ^ 武蔵村山市ホームページ
- ^ 『青春の赤トンボ』51頁
- ^ 1934年2月改正、軍隊教育令(軍令陸第2号)
- ^ 『天空翔破』57頁
- ^ 「大日記甲輯昭和13年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01001596400
- ^ 『天空翔破』78-79頁
- ^ 「御署名原本・昭和七年・勅令第七七号・陸軍給与令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03021843300
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- ^ 「御署名原本・昭和十八年・勅令第六二五号・大東亜戦争陸軍給与令(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022851800
- ^ a b c 「陸軍異動通報綴 暁2948部隊 昭18年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120886400
- ^ a b 「陸軍異動通報 4/6 昭19年7月1日~8月31日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120914400
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- ^ 「陸軍異動通報 4/6 昭19年7月1日~8月31日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120915300
- 1 東京陸軍航空学校とは
- 2 東京陸軍航空学校の概要
- 3 教育内容
- 4 歴代校長
陸軍少年飛行兵学校
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「東京陸軍航空学校」の記事における「陸軍少年飛行兵学校」の解説
1943年(昭和18年)4月、従来の東京陸軍航空学校令が廃止され陸軍少年飛行兵学校令(勅令第225号)が施行された。学校令第2条で陸軍少年飛行兵学校は「東京及大津ニ置ク」とされ、これによって東京陸軍航空学校は東京陸軍少年飛行兵学校に改称し、大津教育隊は大津陸軍少年飛行兵学校に改編された。改称は従来の学校名が「少年飛行兵となる者を初めて養成するものだという点に明確を欠く」という観点からなされたものである。 東京、大津ともに学校の編制は陸軍航空総監に隷属する校長以下、本部、教育隊となり、幹事および材料廠は置かれなくなった。教育隊内では大隊を廃止し、教育隊長の下に直接中隊を置く編制に戻した。各中隊は複数の区隊にわけられ、さらに区隊は内務班に細分された。生徒は教育隊に所属し内務班内で起居する。 陸軍少年飛行兵学校令により、東京校および大津校で教育される生徒は次のとおり定められた(1943年4月時点)。 生徒 少年飛行兵となることを志願する召募試験の合格者。 宇都宮・熊谷陸軍飛行学校、陸軍航空通信学校、所沢・岐阜陸軍航空整備学校の生徒となるために必要な教育を受ける。 修学期間は約1年。通常毎年2回入校。 同年9月、翌1944年(昭和19年)4月に採用される生徒の召募がされた(陸軍省告示第45号)。詳細は次のとおりである(1943年9月時点)。 陸軍少年飛行兵学校生徒召募 入校年4月1日時点の満年齢で14歳以上20歳未満。 規定の身体検査に合格すること。 学科試験の程度は国民学校初等科卒業程度。試験科目は、国語、算数。 採用者の年齢下限が満14歳まで引下げられ、上限は満19歳(入校年4月1日時点)に変更された。これにより志願者の範囲を広げることが可能となった。また年齢上限の引上げは、1943年4月から採用者のうち一部を対象として基本教育の1年を省略し、陸軍少年飛行兵学校に集合後ただちに上級学校へ入校させ教育期間を短縮する少年飛行兵乙種制度に関係するものである。乙種制度はのちに陸軍特別幹部候補生制度へ移行し、2年間(少年飛行兵第14期乙種から第17期乙種まで通算4期)で廃止された。
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