追放ドイツ人の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 15:41 UTC 版)
1939年から1950年までに追放された民族ドイツ人内訳ドイツ東ヨーロッパ計1939年時点の人口9,500,000 7,100,000 16,600,000 戦中に疎開してきた者の数500,000 0 500,000 1939年から1950までの自然増加数600,000 400,000 1,000,000 1939年から1945年までの戦死者数900,000 550,000 1,450,000 民間人の死者数800,000 500,000 1,300,000 東ヨーロッパに残っていた人々の数1,450,000 1,500,000 2,950,000 1950年時点での追放ドイツ人の累計7,450,000 4,950,000 12,400,000 注: ドイツ - ポーランドとソ連に併合されたオストプロイセンやシュレジエン、ポメラニアなどの旧ドイツ東部地域。 東ヨーロッパ - チェコスロヴァキア、ポーランド、グダニスク(ダンツィヒ)、バルト三国、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラヴィア。ソ連は含まず。 1939年時点の人口 - ドイツ人と登録された多言語話者を含む。 戦中に疎開してきた者の数 - 戦時下のドイツ西部からの疎開者。 1939年から1945年までの戦死者数 - リューディガー・オーヴァーマンス (Rüdiger Overmans) による調査ではさらに360,000人多く、その分民間人の死者数は少なくなる。 民間人の死者数 - 主に1945年の戦闘で亡くなった人々。さらに強制労働のためにソ連に連行されて死亡した270,000人を含む。上の表ではゲルハルト・ライヒリンク (Gerhard Reichling) とリューディガー・オーヴァーマンス (Rüdiger Overmans) の再調査を反映。1958年の西ドイツ政府発表の推計では2,100,000人。 東ヨーロッパに残っていた人々の数 - 主に多言語話者。ルーマニアの民族ドイツ人を除く。ゲルハルト・ライヒリンク (Gerhard Reichling) の調査ではこれより230,000人多く、その分民間人の死者数が少なくなる。
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