赤軍大粛清
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「ラインハルト・ハイドリヒ」の記事における「赤軍大粛清」の解説
ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンによって行われたミハイル・トゥハチェフスキーら赤軍幹部を対象とした粛清事件(大粛清)にハイドリヒは少なからず関与した。1936年12月5日、ハイドリヒはソ連の秘密警察NKVDとの間の二重スパイ(フランス在住の元ロシア白軍将軍)ニコライ・スコブリンとプリンツ・アルブレヒト街の事務所において面会した。スコブリンは「モスクワの確かな情報筋」からの情報としてトゥハチェフスキーやヤン・ガマルニク、イオナ・ヤキールら赤軍幹部がスターリンに対するクーデタを計画中であるという情報を告げた。数日後、ハイドリヒはSD幹部を招集し、この件についての会議を行った。ハイドリヒやシェレンベルクは、トゥハチェフスキーらを粛清させて赤軍が弱体化するよう工作することを提案した。一方、エーリヒ・ヤーンケ(de:Erich Jahnke)親衛隊大尉は、スコブリンの素性を疑い、ソ連の偽情報の可能性ありとしてハイドリヒに慎重な行動を求めた。しかしハイドリヒはこれに激怒し、ヤーンケを出勤停止処分にし、ヒムラーとヒトラーの同意を得た上で工作活動を強行した。 SD東方課課長のヘルマン・ベーレンツ(Hermann Behrends)親衛隊中佐が赤軍高官の署名が入った文書を探し集め、アルフレート・ナウヨックス親衛隊大尉らが偽造文書の作成を行った。彼らは1937年2月初めまでにはすべての作業を完了させ、ハイドリヒに偽造文書を提出した。ハイドリヒは、1937年4月にはこの偽造文書をチェコスロバキアの親ソの大統領エドヴァルド・ベネシュに入手させた。ベネシュはただちにソ連の駐プラハ公使アレクサンドロフスキーにこれを伝え、アレクサンドロフスキーからモスクワに伝わった。スターリンの粛清の意志決定に際してこの偽造文書が影響を与えたかどうかは不明であるが、5月下旬にはトゥハチェフスキーやヤキールらは逮捕され、6月に処刑された。その後、ソ連では赤軍大粛清が吹き荒れ、大佐以上の高級将校65%が粛清された。 ハイドリヒは、これを自分の工作活動の成果としてカナリス提督率いるアプヴェーア(国防軍諜報部)を出し抜いたと得意げに触れまわった。この一件以来、アプヴェーアとSDの反目は決定的になったといわれている。なおこの両諜報機関の争いはハイドリヒ存命中には勝負がつかなかったが、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件でカナリスが処刑されたことでアプヴェーアはSDの傘下となり、SDの勝利で終わった。
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赤軍大粛清
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第一次モスクワ裁判では、ムラチュコフスキー(ロシア語版)将軍(ウラル軍管区(英語版)司令官)やスミルノフ将軍(シベリア方面赤軍司令官)など赤軍高官も処刑されていたが、彼等は赤軍という派閥以前に、スターリンに並ぶオールド・ボリシェヴィキとしての側面を恐れられて粛清されたとみられる。 赤軍自体への粛清は、当初はスターリンも手を焼いていたが、1936年7月にNKVDに逮捕されたドミトリー・シュミット(ロシア語版)将軍(キエフ軍管区戦車隊司令官)が、拷問の末廃人にされて赤軍内の“共犯者”の名前を“自白”したことで、徐々に赤軍高級将校への粛清が始まった。さらに1937年6月11日にはミハイル・トゥハチェフスキー元帥(国防人民委員代理)、イオナ・ヤキール一等軍司令官(キエフ軍管区司令官)、イエロニム・ウボレヴィッチ一等軍司令官(白ロシア軍管区司令官)ら名だたる赤軍高官がまとめて“ナチスドイツのスパイ”として銃殺され、これを機に赤軍の粛清がいよいよ本格化する(上記のシュミット将軍は同年6月20日に処刑されている)。 以降、翌1938年までいわゆる「赤軍大粛清」が吹き荒れることとなり、元帥5人のうち3名、軍司令官級15人のうち13人、軍団長級85人のうち62人、師団長級195人中110人、旅団長級406人中220人、大佐級も四分の三が殺され、大佐以上の高級将校の65%が粛清された計算になる。政治委員(共産党から赤軍監視のために派遣されている党員たち)も最低2万人以上が殺害され、また赤軍軍人で共産党員だった者は30万人いたが、そのうち半数の15万人が1938年代に命を落とした。
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