賜暇帰国と再来日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:21 UTC 版)
「アーネスト・サトウ」の記事における「賜暇帰国と再来日」の解説
賜暇 で帰国するためオタワ号で横浜を出港、上海・香港・シンガポール・ボンベイ・スエズ・アレクサンドリアを経由してイギリスに到着した。1870年(明治3年)11月、賜暇を終えて日本に戻った。 1871年(明治4年)、鹿児島から上京してきた西郷隆盛と会った。代理公使アダムズらと箱根・江ノ島に旅行した。廃藩置県後、アダムズと岩倉具視との会談で通訳をした(議題は、廃藩置県断行の状況や農民に対する課税問題、神仏分離令など)。アダムズとオーストリアの退役外交官ヒューブナー(de:Alexander von Hübner)が明治天皇と謁見する際に通訳をした。アダムズと木戸孝允との会談で通訳をした。木戸孝允と会い新しい官制である太政官三院八省制について説明をうけた。アダムズとともに岩倉具視と会い、条約改正準備のための遣外使節団派遣やキリスト教解禁問題、日清修好条規をめぐる攻守同盟疑惑について話し合った。関東一円を旅行した。このころ、日本人女性武田兼 と結婚した。1872年(明治5年)、アダムズとともに甲州を旅行、さらにワーグマンを加えて日光を旅行した。鎌倉・江ノ島を旅行した。参議・大隈重信、工部大輔・山尾庸三とともに西国巡遊の旅行をした。横浜港を出港し途中、下田・鳥羽に寄港して伊勢神宮に参拝。大阪・神戸を経由して讃岐の金毘羅宮に参拝。長崎まで行き大阪に引き返す途中、厳島神社に参拝した。京都を旅行した後、中山道を経由して東京に帰った。箱根を旅行した。1875年(明治8年)、二度目の賜暇で帰国した。
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