若松監督時代とは? わかりやすく解説

若松監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:07 UTC 版)

東京ヤクルトスワローズ」の記事における「若松監督時代」の解説

1999年 先発陣石井一久伊藤智仁川崎憲次郎)が総じて1ケタ勝利に終わるなどし6669敗、勝率.489の4位と低迷したが、前年まで通算8勝の高木晃次プロ入り初の規定投球回数到達 してチーム日本人最多の9勝を、新外国人ジェイソン・ハッカミーチーム最多12勝を挙げた野手陣ではハッカミー同様新外国人ロベルト・ペタジーニ44本塁打放ち本塁打王獲得オリックスからトレードで来た高橋智復活アピールし、主に守備要員だった佐藤真一が突然の打撃開眼チーム牽引。またプロ3年目岩村明憲成長など明る話題もあった。なお長続いていたユマキャンプはこの年限り撤退している。 2000年 石井一久シーズン最終登板中日山本昌抜いて最優秀防御率タイトル獲得する五十嵐前半リリーフ登板だけで11勝を挙げる活躍をしたが、チーム好不調の波が激しく6669敗1分け勝率.489と過去2年と同じ成績3年連続の4位に終わるが、優勝した巨人には1611敗と勝ち越した。オフハッカミー退団2001年 投手陣川崎FA中日移籍伊藤智、新外国人アラン・ニューマンジョナサン・ハーストらの故障離脱先発投手不足する中、石井一以外、新し投手陣様変わり2年目藤井秀悟14勝を挙げ最多勝巨人解雇されテスト入団入来智オリックス解雇されテスト入団2年目前田浩継の「リストラ組」もそれぞれ10勝、7勝とローテーション支え横浜解雇され島田直也チーム2位52試合登板打線も、本塁打打点の2冠のペタジーニ打率2位古田筆頭レギュラー8人(他は真中満宮本慎也稲葉篤紀岩村明憲アレックス・ラミレス土橋勝征)が全て規定打席到達という安定ぶりで、この年のみ採用の「勝利数優先」の順位決定方式逆手取り巨人振り切り4年ぶりのリーグ優勝若松球団生え抜きとして初の優勝監督となった10月6日優勝決め胴上げされ直後インタビューで、ファンへの感謝を言うべきところ「ファン皆様本当に…あのぉ、おめでとうございます!」と言い間違え球史に残る名言となったドラフトでは後に「小さな巨人」と呼ばれるうになる石川雅規指名日本シリーズでは大阪近鉄バファローズ対戦近鉄自慢の「いてまえ打線」を封じ込めて4勝1敗で4年ぶりの日本一達成オフ石井一大リーグロサンゼルス・ドジャース移籍この年セ・リーグは勝数で順位決定した。ただし、勝数が最も多い球団勝率が最も高い球団異な場合プレーオフ優勝決定する方式へと変更しマスコミ等に掲載される順位表も勝数順とされた。しかし、各球団試合消化数には違いがあり、実際に優位に立つのは勝率の高いチームだった。 ドーム球場フランチャイズとして順調に試合消化した巨人対し雨天中止があるヤクルト例年比べてさらに試合消化鈍かったこのため前半戦終了時には巨人の方が試合数が多いため勝数も多く首位立ったが、勝率ではヤクルト上回りゲーム差(勝数優先順位表では表示されなかったが)でも4.5差をつけていた。この「隠れ首位」の状態は8月まで続いたこのような経緯があったためか、2002年からは勝率優先順位へと戻った。ただし、2007年クライマックスシリーズ導入まで勝率が最も高い球団と勝数が最も多い球団とが異な場合プレーオフ優勝決定することは変わらなかった。 この年21世紀最初ペナントレースだったので、ヤクルトは「21世紀最初セ・リーグ優勝日本一球団となった2002年 チーム2位確保ルーキー石川雅規12勝を挙げ新人王に、石井弘寿69試合登板し最優秀中継ぎ投手選出された。また、前年途中入団したケビン・ホッジス最多勝獲得した黄金時代支えた池山隆寛この年限り引退シーズンオフペタジーニ巨人移籍した2003年 シーズン前に西武自由契約となっていた鈴木健獲得高津臣吾佐々木主浩の持つ通算229セーブプロ野球記録更新し最優秀救援投手獲得した高津オフ大リーグシカゴ・ホワイトソックス移籍また、来日3年目アレックス・ラミレス本塁打王打点王最多安打3つのタイトル獲得しペタジーニ穴を埋める活躍見せたチーム中日巨人広島とのAクラス争いの末、巨人同率3位2004年 年間の総得失点差が-73点だったにもかかわらず最終戦巨人抜き7264敗の2位シーズン終え球団史上初の4年連続Aクラス達成したオフ稲葉篤紀日本ハムFA移籍2005年 4月24日古田捕手として野村克也以来史上2人目、大学社会人経てプロ入りした選手としては史上初の通算2000本安打を達成シーズン結果は4位。シーズン終了後若松監督退任後任古田選手兼任監督として就任した二軍この年から社会人大会出場している(詳細)。オフメジャーから日本への復帰果たした石井一2年契約により獲得し広島4番打者だったグレッグ・ラロッカ獲得するなど、積極補強動いた12月19日プロ野球実行委員会古田悲願だった地元密着型として「東京ヤクルトスワローズ」へのチーム名変更全会一致承認されユニフォーム国鉄時代以来となる「Tokyo」の文字復活した2022年現在ヤクルトスワローズ所属経験のある東京ヤクルトスワローズ現役日本人選手石川雅規青木宣親2人

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