芸能の新展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 05:05 UTC 版)
上述のごとく、室町時代からの能(猿楽能)は、大名・公家はもとより庶民にも愛好され、その装束や調度も、時代の傾向を反映して華麗なものになっていった。 音楽では、戦国大名のなかにはキリシタン音楽に興味を示す者もあり、その一方で古くからの一節切(尺八の源流になったとされる笛)を愛好する者もいた。地域に根ざした音楽として、筑紫箏曲が肥前国佐賀ではじまり、また、平家琵琶とは異なる盲僧琵琶が薩摩国の晴眼者、しかも武士のあいだではじまった。公家を中心に伝承されてきた雅楽では、16世紀後半に三方楽所が成立し、京都、奈良、大坂の四天王寺の楽人によって演奏されるようになった。なお、新しい身分社会がかたちづくられていった近世の音楽では、雅楽が公家、能楽(謡曲)は武家、歌舞伎や人形浄瑠璃は庶民などというように、各自の所属身分と音楽ジャンルの対応関係が指摘されている。その一方で、各身分相互の交流がきわめて活発なものであったことも事実である。 この時代、歌舞伎や人形浄瑠璃など音楽・演劇・舞踊がたがいに結びついた新しい芸能もはじまり、江戸時代に大発展を遂げることとなった。その際、伴奏楽器として重要な役割を果たしたのが、三弦(三味線)であった。さらに、御伽衆として秀吉に仕えた曽呂利新左衛門はしばしば「落語の祖」と称されており、話芸も新しい展開をみせた。
※この「芸能の新展開」の解説は、「桃山文化」の解説の一部です。
「芸能の新展開」を含む「桃山文化」の記事については、「桃山文化」の概要を参照ください。
- 芸能の新展開のページへのリンク