舞楽常行三昧の再興とは? わかりやすく解説

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舞楽常行三昧の再興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 09:52 UTC 版)

富貴寺」の記事における「舞楽常行三昧の再興」の解説

平成28年12月3日日本浄土教の祖である恵心僧都源信1000年御遠忌記念して富貴寺大堂創建時に奉修されたと考えられる舞楽常行三昧再興された。富貴寺大堂に関する文書である『宇佐公仲寄進状案』(貞応2年西暦1223年)には「敬白 奉寄 阿弥陀寺田染荘内末久名田畠並用作糸永放田壱町伍段荒野 右、當寺者、是累代祈願所攘災招福之勤于今懈怠、而料田不幾、其勤太也、仍件田畠等重所令奉免也、永為不輸之地、致天長地久當宮繁昌祈請、勿令退転、故所令奉寄如件敬白貞応二年五月 日 大宮司正五位下宇佐宿祢□」とあり、富貴寺宇佐大宮司家累祈願所であることがわかる。富貴寺大堂建立宇佐大宮司家の黄金期築いた宇佐公通考えられている。当時宇佐宮は藤原摂関家本家領家の関係にあり、富貴寺大堂藤原摂関家信仰し恵心僧都源信による浄土教影響受けた考えられている。富貴寺大堂常行堂建築様式であり、須弥壇の仏後壁には極楽浄土四方小壁には藥師東面)、釈迦南面)、阿弥陀西面)、弥勒北面)の浄土図が描かれている。それぞれの浄土図には数多天人奏楽し、舞う姿が描かれているが、同時代浄土図には見られない。これが富貴寺大堂壁画特徴であり、宇佐公通浄土信仰如実に現している。中野幡能によると、宇佐公通浄土信仰拠り所として富貴寺大堂建立するが、そこに極楽音声である雅楽求め正当な雅楽取り入れるために宮中より公家である丹波判官有則を宇佐伶人として招聘し、宇佐楽所という雅楽組織設立したとされる舞楽常行三昧では富貴寺大堂歴史性格考慮され、「宇佐大宮司家が観想した平安時代極楽浄土」と題して富貴寺住職はじめとする天台宗僧侶によって常行三昧が奉修され南都楽所奈良市春日野町)によって舞楽(『迦陵頻』『胡蝶』『陵王』『納曾利』)が奉納された。

※この「舞楽常行三昧の再興」の解説は、「富貴寺」の解説の一部です。
「舞楽常行三昧の再興」を含む「富貴寺」の記事については、「富貴寺」の概要を参照ください。

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