舞楽常行三昧の再興
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平成28年12月3日に日本浄土教の祖である恵心僧都源信の1000年御遠忌を記念して、富貴寺大堂創建時に奉修されたと考えられる舞楽常行三昧が再興された。富貴寺大堂に関する文書である『宇佐公仲寄進状案』(貞応2年、西暦1223年)には「敬白 奉寄 蕗浦阿弥陀寺 在田染荘内末久名田畠並用作糸永放田壱町伍段荒野 右、當寺者、是累代之祈願所、攘災招福之勤于今無懈怠、而料田不幾、其勤莫太也、仍件田畠等重所令奉免也、永為不輸之地、致天長地久當宮繁昌之祈請、勿令退転、故所令奉寄如件、敬白、貞応二年五月 日 大宮司正五位下宇佐宿祢□」とあり、富貴寺が宇佐大宮司家累代祈願所であることがわかる。富貴寺大堂の建立は宇佐大宮司家の黄金期を築いた宇佐公通と考えられている。当時の宇佐宮は藤原摂関家と本家-領家の関係にあり、富貴寺大堂は藤原摂関家が信仰した恵心僧都源信による浄土教の影響を受けたと考えられている。富貴寺大堂は常行堂の建築様式であり、須弥壇の仏後壁には極楽浄土、四方の小壁には藥師(東面)、釈迦(南面)、阿弥陀(西面)、弥勒(北面)の浄土図が描かれている。それぞれの浄土図には数多の天人が奏楽し、舞う姿が描かれているが、同時代の浄土図には見られない。これが富貴寺大堂壁画の特徴であり、宇佐公通の浄土信仰を如実に現している。中野幡能によると、宇佐公通は浄土信仰を拠り所として富貴寺大堂を建立するが、そこに極楽音声である雅楽を求め、正当な雅楽を取り入れるために宮中より公家である丹波判官有則を宇佐宮伶人として招聘し、宇佐宮楽所という雅楽組織を設立したとされる。舞楽常行三昧では富貴寺大堂の歴史と性格が考慮され、「宇佐大宮司家が観想した平安時代の極楽浄土」と題して富貴寺住職をはじめとする天台宗僧侶によって常行三昧が奉修され、南都楽所(奈良市春日野町)によって舞楽(『迦陵頻』『胡蝶』『陵王』『納曾利』)が奉納された。
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