羯鼓催花紅葉賀図密陀絵屏風
主名称: | 羯鼓催花紅葉賀図密陀絵屏風 |
指定番号: | 2504 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 工芸品 |
ト書: | |
員数: | 一双 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 板材全面に黒漆を塗り、いわゆる密陀絵(一種の油絵)を主に、蒔絵・漆絵・螺鈿・金貝【かながい】等の各種技法をもって描かれた和漢風俗図の二曲屏風一双である。 その図様は中国・唐の玄宗皇帝の故事「羯鼓催花」と『源氏物語』「紅葉賀」の巻を題材としたものである。すなわち「羯鼓催花」とは、玄宗皇帝が春二月の初め、宮苑の柳杏が咲きかけているのを見て、「春好光」という曲をつくり鼓を打ったところ、諸花一斉に花開いたという故事。「紅葉賀」は、桐壺帝の朱雀院行幸の際に催される舞楽に先立ち、当日催される舞楽の試楽が藤壺の中宮のために清凉殿の東廂において行われたが、そこで光源氏と大殿の頭中将が「青海波」を舞い、桐壺帝を初め、並居る宮廷人を深く感動させたという場面である。 顔料に荏の油などの植物油に乾燥剤として密陀僧(一酸化鉛)を加えて描かれているとされる密陀絵の技法は、漆絵では出せない白色が得られるところから古くより行われている。しかし我国では奈良に行われて以来近世までその遺例はほとんど知られていない。再び盛行するのは近世初期以降のことで、主に盆などの飲食具類の加飾に多く見られる。絵画的な大画面の例では、宝暦三年(一七五三)の作である日光東照宮陽明門の梅図壁画が有名である。 本屏風はその様式や工芸技法からして江戸時代初期の作と考えられるもので、密陀絵を主に各種の漆芸技法を駆使した華麗な稀有の工芸大作として貴重である。 |
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