統治時代
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「レオポルト (アンハルト=ケーテン侯)」の記事における「統治時代」の解説
1715年11月30日、レオポルトは「統治できる」(vogtbar)年齢になり、1716年5月14日宮殿と市庁舎において家臣の主君に対する託身の儀を受けた。1704年から1715年にかけて摂政を務めたレオポルトの母は、結婚の際受け取った地(Witwensitz)ニーエンブルクへと引くことにした。しかし就任後早々にレオポルトは難問と向き合うこととなったのだった。1702年からアンハルト=ケーテンで実施された長子相続権のために、レオポルトは弟アウグスト・ルートヴィヒに補償を支払わなければならなかった。弟アウグストはギュステンを間に挟んで向こうに位置する飛び地ヴァルムスドルフの宮殿(1547年にゲオルク3世(Georg III.)が建設)と土地をそこで得られるすべての収入込で受け取り(1715/16年の収入が9,893ターラー、1714/1715年の収入が13,094ターラー)、他にもさまざまな譲歩を得た。 親政を始めた22歳のレオポルトは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハを自らの宮廷楽団の楽長に任命した。レオポルトのこの作曲家との交友は1716年1月24日の妹の結婚式にまでさかのぼることができるだろう。バッハはこの時ヴァイマルのエルンスト・アウグスト1世公(Ernst August I.)に随行してニーエンブルクを訪れたのだった。1717年初頭までシュトリッカーが宮廷楽長を務め、シュトリッカーがケーテンを去った後1717年8月5日にはバッハがケーテンとの契約を交わしていた。しかしヴァイマルで退職願を申請していなかったため、しばらくの間拘禁されることとなった。年が変わって1718年、バッハはようやくケーテン宮廷楽長の任についたのだった。 音楽への関心を持つ若き侯爵のおかげで(彼はオーケストラで時折みずからヴァイオリンを手にした)ケーテン時代はヨーハン・ゼバスティアン・バッハにとって最も実り多き時代となった。この地で数多くの器楽曲、協奏曲、『ブランデンブルク協奏曲』の大部分、『平均律クラヴィーア曲集』第1巻、そして多くの管弦楽組曲が誕生した。レオポルト侯はバッハの夭折した息子レオポルト・アウグストの誕生の際に名付け親として立会い、1723年にバッハが様々な事情からライプツィヒへ去った後も彼との親交を続けた。 その後ニーエンブルクの母やヴァルムスドルフにいるアウグスト・ルートヴィヒとの間で繰り返し争いを抱えた。したがって1718年(または1719年)、レオポルトは軍隊を2人の土地に送り、レオポルトの紋章を取り付けさせた。しかし母はレオポルトの紋章をすぐに取り外させた。この侮辱に対し、レオポルトは1721年、ニーエンブルクに再度軍隊を送り、紋章を再び取り付けさせ、そこの地方弁護士ヨーハン・ヤーコプ・ランゲマッハを逮捕させた。アンハルト=ベルンブルクの向こうに位置する飛び地ヴァルムスドルフにも軍隊は送られ、アウグストの依頼で職務を行っていた5人の裁判官が逮捕された。1722年8月、レオポルトはアウグスト・ルートヴィヒと和議を結んだ。ただし母とは和解できなかった。 1721年12月、レオポルトは同族のアンハルト=ベルンブルク侯カール・フリードリヒの娘フリーデリケ・ヘンリエッテ(1702年 - 1723年)と結婚した。彼女は女の子を産み、ギゼラ・アグネス(1722年 - 1751年)と名づけられた。それはおそらく母との間の和解に向けた歩み寄りとして解釈できるだろう。1725年、最初の妻が他界した後にナッサウ=ジーゲン侯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の娘シャルロッテ・フリーデリケ(1702年 - 1785年)と再婚した。彼女は2人の子供を生んだが、2人ともすぐに他界した。 1728年12月17日、レオポルトはヴァイオリンを最後に手にし、その2日後34歳で亡くなった。息子がなかったためアウグスト・ルートヴィヒがアンハルト=ケーテン侯領を継いだ。一人娘ギゼラ・アグネスはアンハルト=デッサウ侯レオポルト2世と結婚した。 1729年3月23日、レオポルトは聖ヤコブ教会の侯爵用墓地に埋葬され、その一日後バッハは聖ヤコブ教会の追悼ミサで『子らよ嘆け、全世界に嘆け』(Klagt, Kinder, klagt es aller Welt, BWV 244a)を演奏した。完成したばかりのマタイ受難曲から9楽章がこの追悼カンタータに転用されたと考えられている。テキストのみが伝えられ、2010年同地で復元版が初演された。
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