第4の哨戒 1943年1月 - 2月
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「グロウラー (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年1月 - 2月」の解説
1943年1月1日、グロウラーは4回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。前回同様、トラックとラバウル間の交通路の監視に従事。1月16日朝、グロウラーは南緯04度00分 東経151度55分 / 南緯4.000度 東経151.917度 / -4.000; 151.917の地点でラバウルからパラオに向かう、8隻の輸送船と1隻の「朝潮型駆逐艦」からなる輸送船団を発見。先頭の輸送船に向けて魚雷を2本発射して1本が命中し、この攻撃により陸軍輸送船智福丸(会陽汽船、5,857トン)は船尾から沈没していった。駆逐艦と航空機、哨戒艇の眼から逃れたグロウラーは、ニューアイルランド島南方海面に針路を向けた。1月下旬からはカビエン近海、ステフェン海峡(英語版)、エミラウ島、ムッソウ島方面で哨戒を行う。1月30日夕刻には、南緯01度14分 東経148度55分 / 南緯1.233度 東経148.917度 / -1.233; 148.917のムッソウ島近海で6,500トン級輸送船を発見し、魚雷をまず3本発射するが全て外れ、続いて魚雷を1本発射して輸送船の船首部に命中させた。翌日、グロウラーは再び敵艦を発見し攻撃したが、発射された魚雷は2本ともグロウラーの方へ戻ってきた。だが、グロウラーはかろうじてそれを回避した。2月5日未明にもステフェン海峡近海で2隻の大型船を発見するが、相手は高速で航行している上に爆雷攻撃で対抗し、グロウラーはガスケット部などに損傷があった。夜に病院船を見届けた後、グロウラーはワトン島(英語版)の方角に移動するが、2月6日夜に新しい任務に就くよう指令が入り、グロウラーは17ノットの速力で新しいエリアに向かった。 2月7日未明、グロウラーは南緯03度34分 東経151度09分 / 南緯3.567度 東経151.150度 / -3.567; 151.150の地点で蓄電池の充電を行っていた。その時、1隻の艦船が接近してきた。艦船との距離は約2,000ヤード(約1,800メートル)で、進路は130度の方角であろうと判断される。この艦船は特務艦早埼であり、横須賀からラバウルに向けてただ1隻で航行中であった。グロウラーの方が先に早埼を発見し、その行動をレーダーにより察知していたものの、艦橋にいたギルモア艦長以下の当直見張り員は気づくのが遅れた。グロウラーは体当たりを企図して反転し、全速力でグロウラーめがけて突入してきた早埼を避けるために、ギルモア艦長は咄嗟に取舵一杯を下令したものの、17ノットの速力が出ていたグロウラーは早埼の中央部に衝突。グロウラーの艦首は5メートルにわたって湾曲し、衝突の衝撃により50度も倒れた。早埼からは高角砲と機銃が乱射された。艦橋は血の海と化し当直見張り員のうち将校と水兵の計2名が即死し、残りも全員負傷した。ギルモア艦長は深手の傷を負い艦橋の手すりに辛うじて寄りかかった。ギルモア艦長は、グロウラーを救うために他の負傷した見張り員を即座に艦内に入るよう命令し、自身も入ろうとしたところでさらに撃たれて負傷した。ついに進退窮まったギルモア艦長は、艦内の乗組員に聞こえるように "Take her down." と命令しつつハッチを外側から閉め、ギルモア艦長は一人艦橋に重傷の身を横たえて絶命した。戦死したギルモア艦長には名誉勲章が授与された。これは、潜水艦部隊に対する将兵へのものとしては6例中最初の受章であった。 ギルモア艦長の戦死後、アーノルド・F・シャーデ少佐(アナポリス1933年組)が艦長心得となり、2月8日に哨戒の中止を報告。2月17日に49日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。修理の際、艦首に2頭のカンガルーのデコレーションが付けられたので、グロウラーには "Kangaroo Express" (カンガルー・エクスプレス)という愛称がつけられた。グロウラーは衝突で早埼も撃沈したと判断していた。
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