第3の哨戒 1942年3月 - 4月・ドーリットル空襲とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1942年3月 - 4月・ドーリットル空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:03 UTC 版)

スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1942年3月 - 4月・ドーリットル空襲」の解説

3月23日スレッシャー3回目の哨戒日本近海向かった。この哨戒では、ウィリアム・ハルゼー中将率い第16任務部隊空母ホーネット (USS Hornet, CV-8)、エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 基幹)が近く行う特別任務ための気象データ収集する任務与えられていた。この特別任務は、4月18日ジミー・ドーリットル中佐による日本空襲他ならないまた、スレッシャーには「4隻の日本潜水艦東京湾から出てくるであろう」というウルトラ情報英語版)も伝えられていた。4月10日朝、スレッシャー大型貨物船発見した貨物船霧の中入っていく前に魚雷3本発射したが、すべて外れた。やがて、貨物船霧の中から出てきたが、このときは攻撃態勢取れず、見逃すしかなかった。しかし、スレッシャーその日のうちに2番目の目標発見し伊豆大島北端風早灯台沖で貨物船サド号(帝国船舶、元ポルトガルサド/山下汽船委託、3,039トン)に魚雷1本を命中させて撃沈した間もなく、3隻か4隻程度哨戒艦艇スレッシャー対し爆雷攻撃実施スレッシャー120メートル深度潜んで攻撃が止むのを待った攻撃が止むと、スレッシャーハルゼー中将任務部隊のための支援続けた。ところが、4月13日浮上して充電中にスレッシャー大波被り海水艦内入り込んで電気系統水浸しにしてショートさせ、塩素ガス発生危惧された。しかし、応急措置迅速におこなわれた結果海水はくみ出され最悪事態免れた4月14日スレッシャー気象データ通報し、この情報ハルゼー中将任務部隊通報され極秘作戦活用された。スレッシャー4月16日にこの海域去り、2機の日本哨戒機から逃れた4月29日スレッシャー37日間行動終えて真珠湾帰投艦長ウィリアム・J・ミリカン少佐アナポリス1928年組)に代わった。

※この「第3の哨戒 1942年3月 - 4月・ドーリットル空襲」の解説は、「スレッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
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