第1番 変ホ短調 作品33-1
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「夜想曲 (フォーレ)」の記事における「第1番 変ホ短調 作品33-1」の解説
1875年ごろ作曲。1883年にアメル社より夜想曲第2番、同第3番とともに出版。1885年2月21日、国民音楽協会の演奏会でマリー・ジャエルの独奏により初演された。曲はマルグリット・ボニに献呈されている。 夜想曲第1番のロマン派風のスタイルは、この曲が同時に出版された他の曲よりも早い時期の作品であることを示唆している。1875年から翌1876年にかけて作曲されたヴァイオリンソナタ第1番(作品13)のスケッチ帳にこの曲の旋律が見られること、また、1877年9月3日付マリアンヌ・ヴィアルドに宛てたフォーレの手紙には「私のピアノ作品については、だんだん忘れていっている」という記述があることから、第1番の作曲は1875年、フォーレ30歳のころと推定されている。なお、マリアンヌはソプラノ歌手ポーリーヌ・ヴィアルドの娘で、1877年7月にフォーレと婚約したものの、これは後に破棄された。 ネクトゥーは、夜想曲第1番の第2主題の力強い和音の響きにリストの、また、単一の動機によって全曲を構成する発想についてサン=サーンスの影響をそれぞれ指摘している。一方で、正確な拍節の流れの中にアクセントの変化をもたらす再現部や、終結部において、一瞬長調の和音を差し挟んで短調に戻ることで、全曲を振り返りながら和声的な別の一面を思い起こさせるといった、フォーレの特徴的な書法が早くも現れているとする。夜想曲の様式としてもすでに確立されており、以降の作品では、この曲の書法とスタイルが発展的に用いられてゆくことになる。これらによって夜想曲第1番は、フォーレの青年時代の優れた作品の一つに数えられる。 なお、献呈相手のマルグリット・ボニは、画家ウジェーヌ・ボニの夫人であり、のち1892年に彫刻家ルネ・ド・サン=マルソーとの再婚も経ながら、1870年から1930年にかけてパリの音楽中心のサロンを催した。彼女のサロンでは、フォーレのほか、シャブリエ、メサジェ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランクら音楽家たちが常連となり、交友関係を結んだり、芸術上の刺激を受けることになった。
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