破格の原稿依頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 16:03 UTC 版)
横溝は乱歩に、増刊用に百枚ほどの原稿を頼み、原稿料として一枚「八円」を提示した。『パノラマ島奇譚』当時の乱歩の原稿料は一枚「四円」であり、この倍額の提示に乱歩も驚いた風で、森下の名を出したが、横溝は「『新青年』はぼくが任されているから」と保証した。当時『新青年』の編集費は原稿・画料ひっくるめて二千円だったが、増刊・増大号は頁数も多いので千円上積みされた(合計三千円?)。横溝は乱歩一人に八百円払っても残り千二百円(二千二百円?)でなんとか賄ってみせる自信があったので、この破格の条件を提示したのである。乱歩は納得したようだったが、確たる返事は得られなかった。昭和3年、5月の7日ごろの話だという。 6月号増刊の発行日は7月20日だったが、随筆や評論以外すべて翻訳という編集内容は、横溝から見てあまりにも貧弱だった。改めて乱歩に手紙で懇願した横溝は、6月末に再び乱歩宅を訪ねた。すると乱歩は五、六十枚の原稿を見せてくれた。その原稿には覚書として、「短冊形に切った原稿用紙が、まるで御幣のように、あちこちに一杯ヒラヒラ貼りつけてあった」という。乱歩によるとそれは『改造』からの依頼で書いたものの、二百枚ちかく書きたいが『改造』が難色を示し、枚数で折り合いがつかない小説だといい、『新青年』に廻してもいいと言うのだった。 乱歩からその内容を聞かされた横溝は大いに乗り気となり、「ぼくが大々的に宣伝しますから」と『新青年』での発表を持ちかけた。原稿料についても、前回提示を再び約束した。ただ、一枚八円で二百枚となると原稿料は千六百円、これを乱歩一人に持っていかれては『新青年』は破産必至ということで、ここだけは守る気はなかったという。横溝は「ここが乱歩狐と正史狸の化かし合い」と述懐している。 この小説は、当初あまりにも平凡な題名だったため、夏の増刊の呼び物にしたかった横溝は「宣伝のしよがおまへん。なんかもっと凄みがあって、色気のある題に変えてくださいよ」と交渉し、気もほぐれてきた乱歩は『陰獣』とこれを改めた。横溝によると「乱歩という作家は筆を執るまでが大変なのだが、いったん筆を執るとそれほどの遅筆家ではなかった」とのことで、まもなく総頁数百七十五枚の『陰獣』原稿が出来上がった。横溝はその内容を読んで、トリックも犯人も知っている筈ながら「そこに漂うオドロオドロしき妖気に打たれ」て、大きな興奮に包まれ、森下雨村も「乱歩君も大した自信だねえ」と、驚嘆していたという。 原稿が完成し、乱歩が博文館へ原稿料を取りに来たので、横溝は百七十五枚に八円を掛けた金額の払い出しを経理へ請求したところ、長谷川編集局長が雨村をそばに横溝を呼び出し、原稿料が高すぎる、せめて六円くらいに負けてもらえと要求してきた。応接室で乱歩にこれを伝えると、乱歩は「高田馬場の下宿の拡張に金がかかるから」と不承服だった。横溝は再度編集局長に掛け合い、これを通した。横溝は「この小説が『新青年』にとっていかに価値のあるものかであるかを力説し、とうとう二人を承服せしめたのだから、『陰獣』をえて私がいかに意気軒高だったか、思い半ばに過ぎるであろう」とこのときの様子を語っている。 横溝は、乱歩が当初『改造』のため五、六十枚ものを書き出したものの、ああしたい、こうしたいと思いはじめ、『改造』より『新青年』のほうがいいのではないかと気がついたのだろうとし、「『改造』ではああもネチッコク書けなかったのではないか。かりにあのとおりのものが書けて発表したとしても、舞台が『改造』だったら、ああも騒然たる話題を巻き起こしはしなかったのではないか」と語っている。
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