石原プロモーション入り
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そして1981年、第109話「西部最前線の攻防(前編)」から、先に殉職した巽刑事役とは別人の鳩村英次役で再登場。この間の1983年、自ら志願して石原プロモーションへ入社し、『西部警察 PART-III』の最終回まで出演していた。『西部警察』に出演して学んだことは「共演することで石原裕次郎、渡哲也という2人の映画スターを先生に持てたことで受けた影響は強い」と語っている。 石原プロモーションに入ったきっかけは、社長の石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであった。渡には『西部警察』放映時の頃から気に入られており、同番組の地方ロケで宿泊したホテルでの飲み会で、他の皆が御開きにした後も渡に勧められるままに、明け方まで一緒に杯を交わしたという。 『西部警察』シリーズ終了後のドラマでは、バイク使いとしての積極的な登場は少なくなったものの、『あぶない刑事』シリーズでは、ハーレーなど大型バイクに乗りショットガンを構えるシーンがもはや「十八番」となっており、相棒役の柴田恭兵とともに還暦以降でも、アクションぶりを時折見せる。ドラマでの役柄は所属する石原プロモーション制作やセントラル・アーツを中心に、刑事役が圧倒的に多かったが、近年は時代劇やコミカルな現代劇にも多数出演するようになっており、役柄の幅を拡げている。 俳優を始めた頃は撮影所に対するイメージのギャップや、カメラの前に立つ事の違和感、嘘の世界である仕事に納得できなかった。ただ、物を作っていくという過程は楽しかったと述べている。1970年代後半には石原プロから『大都会』への出演依頼を受けていたが、当時は「刑事役はやりたくない」と断っていた。刑事ドラマにおける銃の扱い方にはこだわりが強く、「西部警察」の頃は撮影が終わってから、プロップガンを借りて、自宅でプロっぽい仕草を練習していたと当時を語っている。さらに銃撃シーンで右手で銃を構える際に左手を胸に添える独特のスタイルについては「(試行錯誤の末に)最終的にこの形に落ち着いた」と語るが、銃を構えたまま走る姿については、舘自ら千種高校ラグビー部の経験を引き合いに出し、「腕を振らない独特の走り方は『ラグビーボールを拳銃に持ち替えただけ』ともコメントしている。なお、あぶない刑事などの技斗を担当する高瀬将嗣によると、「添えた左手は『心臓の上をガードする』という意味」で、大変勉強になったと後に語っている。 1995年から1997年には、全日本F3000とフォーミュラ・ニッポンに参戦していた「NAVI CONNECTION Racing Team」の監督を務めた。「女の子を口説くつもりで(2ndドライバーを探しに)鈴鹿へ行ったのに、逆にマッチに口説かれた」と近藤真彦の全日本F3000デビューを後押ししている。 2007年TBS系で放映された『パパとムスメの7日間』で、新垣結衣扮する娘と体が入れ替わる父親役を演じ、「あの作品のおかげで今の僕がある」と役者として大きな転機になったと話している。 2011年3月28日、石原プロモーション取締役を辞任し、一所属俳優となる。 2018年、古巣である東映の黒澤満プロデューサーに薦められ主演した『終わった人』で第42回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門最優秀男優賞を受賞。 2018年9月20日、ラグビーワールドカップ2019 日本大会の”PRキャプテン”に任命される(同Twitterアカウント開設)。 2019年ワールドカップ本大会前、日本テレビ系列の情報番組「アナザースカイⅡ」のロケで、ニュージーランドを訪れた。映画「さらば あぶない刑事」以来の訪問で、親交のあるラグビー元ニュージーランド代表のジョン・カーワンとの交流の模様などが放送された。 2020年、旭日小綬章受章。
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