画僧の世界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 04:57 UTC 版)
これに対して禅宗を中心として仏教との関連性を保ちながらも自由な発想と解釈のもとで自己の内面世界を水墨画などに描き出す僧侶が現れた。これが画僧である。 北宋期に文人画が盛んとなり、初期水墨画の一種である墨戯が勃興した。文人と僧侶の交流を通じて、墨戯を行う僧侶が現れるようになり特に禅僧にその傾向が強かった(天台宗の若芬玉澗のように非禅僧の画僧も存在する)。彼らは白衣観音や達磨などを始めとした禅宗祖師や散聖(布袋和尚)の禅機図など仏教に関連する題材とともに、文人画などを手がけた(どちらを主とするかあるいは専芸とするかは人によって異なる)。代表的な人物としては宋元の花光仲仁・牧谿法常・雪窓普明、時代が降り明清の石濤・八大山人なども挙げられる。 日本でも鎌倉時代以後、禅宗の普及とともに画僧が出現した。日本で最初に「画僧」という語が用いられたのは義堂周信の『空華日用工夫略集』であるとされている。南北朝時代にかけては、白雲恵暁・可翁仁賀・玉畹梵芳・黙庵霊淵・頂雲霊峰などが知られている。室町時代に入ると、吉山明兆・大巧如拙・天章周文などを経て雪舟等楊・雪村周継によって大成された。江戸時代にも白隠慧鶴や仙厓義梵などが活躍したが次第に衰えていった。
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