ぶんじん‐が〔‐グワ〕【文人画】
文人画
文人画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 06:55 UTC 版)
文人画(ぶんじんが)とは、中国において職業画家の画(院体画)に対し、文人が余技として描いた絵画のことをいう[1]。琴棋書画の画に当たる。中国にとどまらず、近代以前の朝鮮・日本にも広がり、また影響を及ぼした。
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「文人画」の解説『文人画』 - コトバンク
- ^ 河野道房『中国山水画史研究ー奥行き表現を中心にー』(第1刷)中央公論美術出版、2019年2月、335頁。ISBN 9784805507995。
- ^ 佐々木&佐々木 1998, pp. 97–101.
- ^ a b 佐々木&佐々木 1998, pp. 95–97.
- ^ 佐々木&佐々木 1998, p. 97.
- ^ 滕固『唐宋絵画史』(初版)中国古典芸術出版社、1958年3月。ISBN 9787531477303。
- ^ 中村茂夫『中国画論の展開』(初版)中山文華堂〈普唐宋元篇〉、1965年。 NCID BN05160225。
文人画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
中国の文化、特に宋時代以降の文化は、文人、士人、士大夫(したいふ)と呼ばれる人々がリードした文化であった。中国絵画史、特に宋時代以降のそれは、文人・士大夫が自ら筆をとり、享受した絵画、すなわち文人画が重要な位置を占める。文人とは、儒教的価値観を基盤にした教養と道徳を身に付けた知識層のことである。そのなかで、高級官僚の地位にある人々を士大夫と尊称した。彼らは官吏登用試験である科挙に合格したエリート層であって、一般庶民とははっきり区別されていた。むろん、文人画家以外に、宮廷画家や民間の職業画家も存在したが、明末の董其昌(とうきしょう)のような理論家は、文人画を上位に置き、職業画家の絵画は、たとえ技巧の点で優れていても、文人画よりは一段価値の下がるもの、学ぶ価値のないものと見ていた。こうした文人画の主流は、ジャンル的には山水画であり、技法的には絹(または紙)に墨一色で描かれた水墨画であった。
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