甲陽工区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:11 UTC 版)
甲陽工区は、新大阪起点17K250Mから19K450Mまでの延長2,200メートルを掘削する工区である。大成建設が施工を担当した。工区の所在地は、西宮市上ヶ原山手町、甲陽園東山町、甲陽園山王町、甲陽園目神山町甲陽園北山町に渡っている。地質は、起点側500メートルほどは上ヶ原工区と同じく大阪層群に属しているが、そこから西は六甲山の基盤である六甲花崗岩となる。土被りは5メートルから最大130メートルほどであった。 甲陽工区は地形上、土被りの薄い場所で上部から開削工法で取り付くことが可能であった。実際に立坑を設置した17K492M50地点では、地表から施工基面までが16.3メートルであった。このため、当初からこの地点で立坑を設置する前提とされていた。この付近は大阪層群中で、砂や砂礫層からなり、土砂流出を起こして立坑掘削に悩まされることになった。 1968年(昭和43年)1月11日に工事に着手した。立坑は御手洗川のすぐ脇に設けられ、周辺に掘削のための諸設備が設けられた。民家に近接するため、防音対策に意が用いられた。立坑のサイズは長さ40メートル、幅11メートル、深さ18メートルとなった。先に試掘立坑を掘削し、その結果掘削に際しかなりの湧水が予想されたことから、1回の施工単位を細かくして掘削した。 立坑から岡山方への掘削を開始した。本坑掘削の前に地質調査坑を本線の左右に18.5メートル離れた位置に3.3平方メートルの断面積で掘削し、地質の確認と水抜きを行った。その後本線の掘削を行い、その際にも小断面の導坑から掘削して次第に拡大する方法を取った。立坑から約220メートルで地質が岩盤に変わり、発破を用いる底設導坑先進上半工法に切り替えて掘削した。なお、この岩盤に変わったあたりの区間は土被りが15メートル程度になって上部に家屋が密集していたため、振動対策が求められ、昼間に限定して導坑に限って発破を実施し、発破のたびにマイクで予告を行った。そこで上半断面掘削の際には発破ではなくブレーカーを用いて掘削した。これにより掘削の進行は発破に比べて2分の1から3分1の速度に低下したが、振動対策では有効であった。150メートルほどこの工法で前進し、土被りが50メートルになってから発破工法に戻した。 立坑から新大阪方は、222.5メートルにわたる全延長で地質が土砂であった。この区間についても土砂流出に悩まされ、2段から4段におよぶサイロット工法(側壁導坑先進工法)をしたり、掘削のたびにコンクリートを打設して覆工を実施したりして掘削した。 1971年(昭和46年)5月31日に甲陽工区は竣工した。工区の工費は21億9200万円であった。
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