理事長時代の施策のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:14 UTC 版)
「佐田の山晋松」の記事における「理事長時代の施策のその後」の解説
理事長時代に行った施策についてのその後の評価は様々である。 外国人力士の入門規制については、2002年1月に次代の時津風理事長が従来の総数40名から「1部屋1人まで」とする方針に変更しており、後に放駒理事長によって2011年1月から帰化者も含む外国出身力士の制限に強化された。また、幕下付出の基準設定は時津風理事長によって基準が強化されたが、北の湖理事長が「三段目付出制度」を創設(2015年5月)して、強化された基準の一部を緩めている。さらに、新規入門力士の年齢制限は2016年9月に八角理事長によって、付出基準に満たなくても各種競技で実績のある者に限り25歳未満となり、従来の一律23歳未満から緩和されている。 理事長としての失脚の原因となった年寄名跡の問題は、時津風理事長の下で改めて審議され、1998年5月に以下のような施策が実施された。 第1に「大関経験者の時限付き年寄襲名の許可」と「準年寄制度の創設」である。引退時に年寄名跡を習得していない場合、現役時代の四股名をそのまま時限付き(大関は3年、関脇以下は2年)で年寄名として名乗ることを認めるものである。従来までは横綱のみ5年間の「一代年寄」として名乗ることが許されていた制度を門戸開放する意味があった。第2は「年寄名跡の複数所有、貸借禁止」で、これは高額取引されている年寄名跡を取得することが出来ない者が、本来の所有者から借り受けて襲名する不透明さが慣習化していたため、これを解消する狙いがあった。 その後、「大関経験者の時限付き年寄襲名許可」は定着し、栃東大裕(2007年5月)と琴欧洲勝紀(2014年3月)に適用された。また「年寄名跡の複数所有禁止」は定着したものの、貸借については禁止措置後も表面上の名義のみ変更して貸借する例が後を絶たず、有名無実化したことでこの措置は2002年9月に解除された。さらに準年寄制度も短い任期(創設時は2年、2002年9月以降は1年)で年寄名跡を取得することが困難であり、むしろ任期切れを境に年寄名跡を借りて襲名する例が多くなったことで制度としての意義を失い、2007年11月に廃止された。 理事長として1996年9月に打ち出した「年寄名跡の協会帰属、売買禁止」私案は、公益法人の評議員資格の高額売買問題にメスを入れるというドラスティックな改革案だった。しかし、1990年代の相撲人気の余波もあって改革の機運には程遠く、同時に親方衆の反発と理事長自身への批判を生んだことで最終的には撤回に追い込まれた。一方で、2010年代の公益財団法人認定をめぐる議論では、名跡の取得に絡む金銭授受の禁止や罰則規定案が盛り込まれ、その意味でこの私案はこれらを先取りするものだった。その後、公益財団法人移行に伴い2013年12月に年寄名跡証書の協会への返還、管理がようやく実現したものの、年寄名跡の襲名に際しての金銭授受が禁止されたが、親方衆の負債問題への対応や協会の名跡買い取りが困難なこともあり、前任者への「顧問料」名義での支払いは容認されている。
※この「理事長時代の施策のその後」の解説は、「佐田の山晋松」の解説の一部です。
「理事長時代の施策のその後」を含む「佐田の山晋松」の記事については、「佐田の山晋松」の概要を参照ください。
- 理事長時代の施策のその後のページへのリンク