猿神信仰とは? わかりやすく解説

猿神信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:14 UTC 版)

猿神」の記事における「猿神信仰」の解説

ニホンザル#山神としてのニホンザル」も参照 比叡山延暦寺の僧の著書とされる神道理論書耀天記ようてんき)』によれば漢字発明者とされる古代中国伝説上の人物蒼頡が神の出現前に釈迦日本日吉に神として現れサルの形を借りて吉凶を示すと知り、「申(さる)に示す」と意味で漢字「神」発明したことや、蒼頡は実は釈迦前世であり、釈迦日吉祀られてまもなく、サルたちが日吉大社集まったことが記述されている。この話は創作だが、仏教日本に伝来するにあたりそれ以前から日本信仰されていた日吉神など日本古来の神の信仰繋ぎ合わせるものとして興味深いものと見る向きもあり、サル日吉神使者とされた由来一つ考えられている。 また日本最古説話集日本現報善悪霊異記』には、近江国野洲郡(現・滋賀県野洲市)で三上山の僧のもとにサル現れて、「自分インドの王だったが生前の罪でサル生まれ変わり、この神社の神となった」と語る話があり、野洲郡琵琶湖挟んで日吉大社反対岸にあることから、8世紀から9世紀頃には琵琶湖南岸一体でサル信仰広まっており、中世入ってサル神の使い見なす考え繋がったものと見られる猿神には太陽神としての側面もあるが、「日吉」の表記太陽通じサル日の出とともに騒ぎ出す性質があるために、サル太陽関連づけられたとする説が唱えられサル太陽抑える役目与えられものといわれる。しかし人々多く農耕生活から離れ日の出日の入り生活基盤とする習慣少なくなるにつれ、太陽神としての猿神性格薄れていったようである。 中世から近世にかけて流行した山王信仰においてもサル神の使いとしての役割担っており、山の神としても尊ばれた。このように天界地上媒介する猿神性質は、外部からの侵入排除して村内を守る村落神仏信仰、特に庚申信仰塞の神地蔵信仰とも結びついた。中でも庚申信仰では庚申待習俗始まって以降、「申」がサル通じることから、庚申塔に「見ざる聞かざる言わざる」の三猿掘られることが広く行われるようになった。 また『絵本太閤記によれば豊臣秀吉の母が男子授かるよう日吉神願ったところ、懐中太陽が入る夢を見て秀吉を身ごもったとあり、秀吉サルあだ名されたことは近江日吉信仰や猿神信仰に関係しているとの説もある。

※この「猿神信仰」の解説は、「猿神」の解説の一部です。
「猿神信仰」を含む「猿神」の記事については、「猿神」の概要を参照ください。

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