猫と庄造と二人のをんな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 20:55 UTC 版)
『猫と庄造と二人のをんな』(ねことしょうぞうとふたりのおんな)は、谷崎潤一郎の長編小説。猫のリリーを中心に、2人の女と1人の男の三角関係を描いた物語。
- ^ 「古典回帰の時代」(アルバム谷崎 1985, pp. 65–77)
- ^ 「谷崎潤一郎年譜」(夢ムック 2015, pp. 262–271)
- ^ 「主要著作目録」(アルバム谷崎 1985, p. 111)
- 1 猫と庄造と二人のをんなとは
- 2 猫と庄造と二人のをんなの概要
- 3 あらすじ
- 4 脚注
猫と庄造と二人のをんな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 10:27 UTC 版)
「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「猫と庄造と二人のをんな」の解説
前述のように、谷崎は『源氏物語』の旧訳を作成するに際して、中央公論社と「印税の一部を生活費として先払いする代わりに谷崎側は源氏物語の翻訳中は他の仕事を一切入れない。」という約束をしており、実際谷崎がこの期間に発表したのは後述する一点を除くと、 「翻訳小説二つ三つ」『読売新聞』、1936年(昭和11年)1月 「上方舞大会について」『上方』上方郷土研究会、1936年(昭和11年)5月 「木影の露の紀」『大阪毎日新聞』1936年(昭和11年)1月8日 という3つの短文と他者の単行本の序文2編、談話筆記1編だけであり、『源氏物語』の翻訳に専念していたと言える状況にあった。中央公論社からの雑誌『中央公論』の50周年記念号に掲載する作品の執筆依頼に対してすら、1935年(昭和10年)8月16日付けの社長嶋中雄作・雨宮庸蔵・佐藤観次郎の3人に対する手紙の中ではっきりと強い調子で断っている。そのような中で唯一の例外と言えるのが、雑誌『改造』の昭和11年(1936年)1月号および同年7月号の2回にわたって掲載された長編小説『猫と庄造と二人のをんな』である。 『猫と庄造と二人のをんな』が掲載された雑誌『改造』を発行していた改造社は、谷崎とは長年にわたって密接で良好な関係を持ってきた出版社であり、谷崎の多くの作品が雑誌『改造』に掲載される形で発表され、改造社から単行本として刊行されただけでなく、最初の谷崎潤一郎全集もこの改造社から刊行されている。谷崎は『猫と庄造と二人のをんな』を執筆した理由について、上記の新作の執筆を断った手紙の中において「やむをえない理由」とのみ記しているが、実際には金銭的な理由によるものであると考えられている。この時期、谷崎は原稿料の前借りとして改造社から多額の金銭を借りており、その担保として改造社版谷崎全集の収録作品の出版権を押さえられていた。谷崎はそのような状況で長期間にわたって『源氏物語』の翻訳に専念する(そのために改造社では執筆することがない)という道を選択したために、この時期に谷崎と改造社との関係は極めて悪化しており、以後谷崎の作品は短文一つを除いて改造社の刊行物に掲載されることは一切なくなり、雑誌『改造』に掲載された本作『猫と庄造と二人のをんな』も、単行本は創元社から刊行されることになるなど改造社からの単行本の刊行もなくなるという形で決定的に悪化することになる。 この時期、改造社では歌人であり国文学者でもある窪田空穂による『源氏物語』の現代語訳(のちに1939年(昭和14年)から1943年(昭和18年)にかけて『現代語訳源氏物語』として出版されたもの)を計画しており、谷崎の『源氏物語』現代語訳と競合関係になることが予想されたことも関係しているのではないかとの指摘もある。
※この「猫と庄造と二人のをんな」の解説は、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の解説の一部です。
「猫と庄造と二人のをんな」を含む「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事については、「谷崎潤一郎訳源氏物語」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 猫と庄造と二人のをんなのページへのリンク