狭義の理性主義(合理主義)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 01:30 UTC 版)
「理性主義」の記事における「狭義の理性主義(合理主義)」の解説
「大陸合理論」も参照 ルネサンスによって古代のギリシア文化、そしてギリシア哲学の知的資産が本格的に復興・普及されるようになり、更に17世紀に入り数学を伴って天文学・古典力学が発達(復興)する科学革命が起きる中、古代や中世の知的資産とその影響を引き継ぎつつも、それらとはまた違った形で「理性主義」が開花するようになる。 近代における理性主義(合理主義)の嚆矢は、数学者でもあったルネ・デカルトである。彼は方法的懐疑によって得られる「我思う、ゆえに我あり」という原理を出発点とし、理性によって形作られる、プラトンより更に自己完結性が高い、過激な理性主義(合理主義)的形而上学体系を作り上げた。「思惟実体」(精神)とそれ以外の「延長実体」(物質)という独立した二元論的実体によって成り立つ彼の世界観では、後者は前者の数理的表現に還元できるので(機械論的自然観)、経験対象・内容に囚われる必要が無くなる。彼の作り上げた体系は、最終的には神を要請するものではあるが、キリスト教色が抑えられ、理性優位という点で、中世のスコラ学とは一線を画するものであった。 マルブランシュは、司祭・神学者としての立場からデカルトの思想を継承し、その二元論の統合に務めたので、フランスにおけるデカルトの継承者とみなされた。 スピノザも、デカルトの影響を受けつつ、それを汎神論的な論証体系としてまとめ上げた。また、彼の主著が『エチカ』(羅: ethica)と命名されていることからも分かるように、彼はその形而上学体系を、倫理学へと引き込み、社会化しようとしていた。 数学者でもあったライプニッツは、「モナド論」に基づく、独自の体系を形成した。 以上が、17世紀-18世紀の近代哲学認識論において、「大陸合理論」として括られる、狭義の理性主義(合理主義)である。
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