スピノザ【Baruch de Spinoza】
スピノザ 【Spinoza】
スピノザ
バールーフ・デ・スピノザ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 10:34 UTC 版)
バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː]、1632年11月24日 - 1677年2月21日[1])は、オランダの哲学者である。ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られる。デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた。
注釈
- ^ ヨハン・デ・ウィットは優れた政治家だったが、他者への理解や同情心がなく庶民を軽蔑したため人気がなく、その不満が仏蘭戦争の時期に高まっていた[5]
- ^ エチカという題名からも読みとれるが、スピノザは倫理学を重視していた
- ^ スピノザによれば、実体とは、自らにおいて存在し、自らにおいて考えられるものを意味する。
- ^ ある実有が自己の力によって存在するということは、完全性からのみ生じえる[10]
- ^ 様態とは、その本質に存在が属していないもの、あるいは他によって存在し、他によって考えられるものを意味する
- ^ デカルト『情念論』に代表される
- ^ しかし、これは多くの(キリスト教・ユダヤ教問わず)神学者・信仰者の反発を買ってしまった。
出典
- ^ Benedict de Spinoza Dutch-Jewish philosopher Encyclopædia Britannica
- ^ 「知の教科書 スピノザ」、チャールズ・ジャレット著、石垣憲一訳、2015年、講談社選書メチエ、p16
- ^ a b c d e 「知の教科書 スピノザ」、チャールズ・ジャレット著、石垣憲一訳、2015年、講談社選書メチエ、p20
- ^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅰ 古代ー中世 原書房 2004年 333ページ
- ^ 桜田美津夫著『物語 オランダの歴史 - 大航海時代から「寛容」国家の現代まで』中公新書 2017年 106ページ
- ^ 桜田美津夫著『物語 オランダの歴史 - 大航海時代から「寛容」国家の現代まで』中公新書 2017年 105-106ページ
- ^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅰ 古代ー中世 原書房 2004年 334ページ
- ^ スピノザの生涯と精神. 学樹書院
- ^ 小論理学準備概念50
- ^ a b 書簡35
- ^ 1定理17系
- ^ 1定理18
- ^ 『エチカ』第2部定理13
- ^ 1定理14
- ^ 書簡64
- ^ 書簡32
- ^ 書簡2
- ^ 2定理49備考
- ^ 書簡37
- ^ 5定理30
- ^ 2定理45備考
- ^ 1定理34
- ^ エチカ結語
- ^ エチカ4定理37備考1
- ^ 神学政治論第20章
- ^ ヨハネ2:19、マタイ26:61、マルコ14:58
- ^ 書簡75
- ^ エチカ5定理42
- ^ 書簡43
- ^ 『果てしなき探求――知的自伝』岩波現代文庫, 2005年、上巻、26頁
- ^ 同書[要ページ番号]
スピノザ
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ユダヤ教からの破門者として有名なのはスピノザである。 アムステルダムのユダヤ人共同体におけるスピノザの破門状には、 「…かれの昼にのろわれてあれ、夜にのろわれてあれ、かれの臥すにのろわれてあれ、起くるにのろわれてあれ、かれの外出するにのろわれてあれ、帰り来たるにのろわれてあれ、主はかれを許したまわじ、主の憤怒はこの者に対して燃え盛り、掟の書に記されし一切ののろいをかれにもたらさん…何人もかれと同じ屋根の下にも、4エルムン以内にも留まることなかれ」 「今後、彼から1メートルの距離に近寄るものは呪われよ」 とある(原文で使われていた当時の単位系を置き換えた)。
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