特徴と展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/23 16:01 UTC 版)
東亜協同体論は、西安事件以降の中国で抗日ナショナリズムあるいは「民族的統一」を求める運動が高まったことを強く意識し、反帝国主義、資本主義の是正(自由主義の超克)、反ブロック論による現状の超克を志向した。また三木清において特に顕著であるが、「世界史的意義」 - すなわち歴史のなかで東亜協同体が出現する必然性が強調されている。さらに多くの論者は、協同体建設の原理と方向として(1)(西欧的国家原理の中心とみなされた)排他的・閉鎖的なナショナリズムの超克、(2)アジアの解放、(3)ナチズム・ファシズムとの相違、(4)日本の指導的役割、(5)「協同体」の建設と表裏一体に進められる日本国内の改革の必要性を主張する点でほぼ共通していた。 しかしこの主張は、日本側が第一の提携相手と想定していた中国の国民政府(蒋介石政権)からは全面的拒否にあった。また東亜協同体論と密接なつながりをもっていた近衛新体制運動が大政翼賛会発足にすり替えられてしまうと、協同体論も大東亜共栄圏構想に変質し、当初の「中国ナショナリズムとの真剣な思想的対決」という問題意識は失われることとなった。また体制内のより保守的なグループは、近衛グループが協同体建設と不可分一体のものとして唱道する「国内変革」に対し社会主義的であると反発、企画院事件・尾崎・ゾルゲ事件などを契機に昭和研究会とその周辺への弾圧が強行された。この結果、太平洋戦争開戦直前の時期には東亜協同体論を主張する声は次第に小さくなっていった。 第二次世界大戦後、東亜協同体の理念は日本の対アジア外交において一部継承されたとする見解(酒井哲哉)もある。例えば日本がアジア諸国の間に独自の外交関係を構築することを通じ、この地域におけるナショナリズム・共産主義勢力を包摂しようとした蝋山の思想にそれを見ることができる。
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