温泉資源活用の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 16:28 UTC 版)
江戸時代、幕府の専売品である明礬(湯の花)の生産をほぼ独占的に行っていた別府では、1923年(大正12年)に大分県と別府町の援助で京都大学が地球物理学研究所を設置。1925年(大正14年)には日本で最初の地熱発電が行われ、戦後になっても温泉資源の活用に多角的に取り組んできた。1952年(昭和27年)4月に設立された大分県温泉熱利用農業研究所(現・花き研究所)では、野菜・花きの温泉熱利用による栽培、育種の研究が行われ、その他にも温泉による魚の養殖や、杉乃井ホテルでは消費電力の約半分を敷地内の地熱発電で賄っている。 最近では別府の多彩な泉質の源泉から取れる色とりどりの温泉泥の利用を、大分大学医学部、広島大学、日本文理大学、パドヴァ大学(イタリア)、大分県産業科学技術センターなどが共同で研究し、温泉泥美容ファンゴティカが開発されるなどしている。 医療分野においては、1912年(明治45年)には陸軍病院が、1925年(大正14年)には海軍病院が開院して温泉療法の実践が始まると、1931年(昭和6年)には九州大学の温泉治療学研究所(現在の九州大学病院別府病院)が設置され、温泉治療の研究が行われてきた。また太平洋戦争後は原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所が開設され、被爆者援護においても温泉療法の研究が行われた。 このように別府において温泉資源の利活用が広範囲に及ぶようになったのは、明治期の上総掘りによる源泉掘削「湯突き」の発達によるところが大きい。明治12年(1879年)頃にこの技術が導入された結果、明治9年(1876年)には全て自然湧出であった泉源が、明治44年(1911年)には、自然湧出泉が17ヶ所であったのに対し、掘削泉は76ヶ所となった。温泉都市となった現在、市内には各町内ごとに住民がお金を出し合って設けた共同温泉が数百あるといわれており、自家源泉を持っている個人宅も少なくない。今では上総掘りから掘削機械に置き換わっているが、現在も複数の温泉供給会社が源泉数、湧出量ともに日本一の別府温泉を支えている。
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