洞院愔子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 08:07 UTC 版)
洞院 愔子(とういん いんし、寛元4年(1246年) - 元徳元年8月30日(1329年10月1日))は、鎌倉時代の女性。後深草天皇の後宮で、伏見天皇の国母。女院として玄輝門院(げんきもんいん)。法名は自性智。父は従一位左大臣洞院実雄。
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洞院 愔子(とういん いんし、寛元4年(1246年) - 元徳元年8月30日(1329年10月1日))は、鎌倉時代の女性。後深草天皇の後宮で、伏見天皇の国母。女院として玄輝門院(げんきもんいん)。法名は自性智。父は従一位左大臣洞院実雄。
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