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藤原詮子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/10 08:11 UTC 版)

藤原 詮子(ふじわら の せんし/あきこ、応和2年(962年) - 長保3年閏12月22日1002年2月7日))は、平安時代、第64代円融天皇女御。第66代一条天皇生母(国母)。東三条院院号である。


  1. ^ 『栄花物語』巻3には詮子が道長を「我御子と聞え給ひて」と書かれ、あたかも道長を自分の子として扱ったように描かれている(勿論、道長が実際に詮子の養子猶子だった事実はない)。
  2. ^ 藤原道長の日記『御堂関白記』によって道長が父祖の忌日として供養を行った事が確認できるのは、7月2日の父・兼家、1月21日の母・時姫の法要以外には12月22日の詮子の法要のみであり、また盂蘭盆会の前日に送る盆供の送り先として、法興院(兼家の菩提寺)・浄閑寺(時姫の菩提寺)・慈徳寺(詮子の菩提寺)が指示されている(『御堂関白記』長和4年7月14日条)ことから、道長が詮子の供養を両親と同じように行っていた事が知られる。(桃裕行「忌日考」(初出:『国民生活史研究 5』(1962年、吉川弘文館)・所収:『桃裕行著作集 4』(1988年、思文閣出版))


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