正親町雅子とは? わかりやすく解説

正親町雅子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 09:43 UTC 版)

正親町 雅子(おおぎまち なおこ、享和3年11月1日1803年12月14日) - 安政3年7月6日1856年8月6日))は、江戸時代後期の女院(最後の女院)。父は正親町実光。母は四辻公亨の娘千栄子。子に孝明天皇のほか二皇子一皇女をもうけた。正親町家閑院流洞院家の支流にあたる名門で、家格は羽林家


  1. ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P280-281


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