法の番人
ほう‐の‐ばんにん〔ハフ‐〕【法の番人】
法の番人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 23:18 UTC 版)
モートンはマサチューセッツ州最高司法裁判所陪席判事の中で唯一の民主党員であり、その他の判事は全て連邦党員によって指名されていた。それにも拘わらず、モートンは幾つか著名な判決を書いた。「チャールズ川橋対ウォーレン橋事件」の判決を書いた。この事件の審理は結局アメリカ合衆国最高裁判所まで行くことになった。原告は、ボストンとチャールズタウンとの間に1786年に建設された有料橋、チャールズ川橋の所有者であり、被告は州が1828年に認証を発行した競合する橋の所有者だった。原告は、自分たちの認証で州が川を渡すための排他的な支配権を認めていたのであり、被告に対する認証がそれに抵触するものだと主張した。最高司法裁判所の判断は2対2で分かれ、アメリカ合衆国最高裁判所で審理されるべく、差し戻された。モートンは被告有利の判決を書き、州が排他的な権利を認めることになるならば、それを明確にしておかねばならず、この件ではそれが明確でないと指摘した。この判断はアメリカ合衆国最高裁判所におけるロジャー・トーニー首席判事の1837年判決で支持された。 1838年、モートンは「州対ニーランド事件」で唯一の反対者となった。これは「冒涜」を問われて有罪とされた国内最後の事件だった。アブナー・ニーランドは激烈なユニバーサリスト神父だったのが、汎神論に転向した者であり、キリスト教徒が攻撃的と考える声明を出していた。第一審では有罪とされたニーランドが控訴し、高度に政治的な裁判が2度評決不能陪審に終わった後で、控訴審で有罪が支持された。1836年3月、マサチューセッツ州最高司法裁判所がこの事件を審査した。ニーランドは自己弁護を行い、自分の作った声明は法によって規定されたレベルまで達していないと論じ、州法がアメリカ合衆国憲法修正第1条を侵害していると主張した。首席判事のレミュエル・ショーは多数派の意見を書き、ニーランドの発言は冒涜に関する法の規定を満足していると判断し、法の解釈により州憲法で言論と信教の自由を保護していることには抵触していないと判断した。モートンはその反対意見で、州憲法第2条(信教の自由)をよりリベラルに読めば、あらゆる人は「神の問題を論じ、その存在を肯定するも否定するも主張する憲法上の権利がある。ある人が法的に権利があると考えることを行うことで罰されることには同意できない」と書いていた。州知事のエドワード・エヴァレットは、ニーランドに恩赦を出すことを拒み、ニーランドは60日間収監された。この事件は今日、冒涜罪に関するアメリカの事件として最大級に引用されることの多いものとなっている。
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