横須賀城跡とは? わかりやすく解説

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横須賀城跡

名称: 横須賀城跡
ふりがな よこすかじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 掛川市
管理団体
指定年月日 1981.05.08(昭和56.05.08)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S55-05-022横須賀城跡.txt: 小笠丘陵末端遠州灘におちていく大須賀町横須賀横須賀城がある。天正3年1575長篠合戦勝利をうけて、同6年高天神城奪還企図した徳川家康当時浜松城に在城)が部将大須賀康高命じて築城したものである。選ばれた地は小高い丘陵とその山麓砂丘であり、西進すれば浜松東進すれば相良に至る街道面している。また現在は陸地化しているが、かつては海に直結する内湖南面していたことが古絵図によって判明するそのような水陸交通要地選び北西約2キロ高天神城喉元扼したものである
 大須賀康高以降大須賀忠政、[[渡瀬]わたらせ]繁詮(豊臣秀吉家臣)、有馬豊氏同上)が城主となり、関ヶ原役以後大須賀忠政が6万石で再入部し近世横須賀藩成立した以後松平氏井上氏本多氏西尾氏城主変遷をみて2万千石の城として廃藩置県至った
 遺構としては丘陵上の天守台本丸西の丸北の丸松尾山砂丘上の二の丸三の丸、また松尾山北東大空濠がよく残っている。また城郭の北、西、南を画する堀跡があり、埋立なされたところもあるが、玉石積の石垣遺構がよく残り、また隠しといわれる舟入状の堀跡は、入江面し横須賀港おさえていた横須賀城特色をよく示している。
 徳川氏築いた横須賀城は既指定武田諏訪原城武田徳川方争奪となった高天神城とあわせ、武田方の進出衰亡徳川氏成長過程を示す貴重な史跡であり、このような歴史的意義及びその良好な保存状況考え史跡指定しその保存を図るものである
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史跡:  横瀬古墳  横田下古墳  横見廃寺跡  横須賀城跡  樫原廃寺跡  樺山遺跡  樺崎寺跡



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