柔道関連
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フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で、「空手技を試みるも失敗し、無理やりやろうとする師範代シリーズ」を演じ、好評を博している。第4回大会優勝者(選考理由は上記の刺繍のいきさつとの噂も)でもある。 ウド鈴木(キャイ〜ン)も有段者だが、柔道ネタをふられると「やすさんには敵わないです! 神のような人です!」と言い、相方の天野ひろゆきも「あの人九州大会で優勝してるんです」と笑いながら答えている。 テレビ朝日『虎の門』の柔道シリーズでは「サンタ柔道チャンピオン」「フレッシュマン柔道大会」「ケンカ柔道王」のいずれも優勝し、3連覇を成し遂げる。これは大会名に関したオリジナルの柔道着(例えばケンカ柔道王では特攻服を模したもの)を着用して柔道を行うというもの。ケンカ柔道王では他の出場者であるつぶやきシロー、有吉弘行、佐田正樹(バッドボーイズ)はヤンキーのようなメイクをし、メンチ切りをしていたのだが、やすだけは「ケガのないようにしたいと思います」とにこやかに抱負を述べた。しかし、シリーズ第4弾となった「おばけ柔道大会」では、準決勝にて福島善成(ガリットチュウ)に敗れ、4連覇とはならなかった。 テレビ東京『やりすぎコージー』の「やりすぎ格闘王決定戦」では同大会2連覇の前歴を持ち、格闘家芸人の異名を持つアキ(バイキング)から勝利をおさめ、決勝戦で有酸素運動マンと対戦し勝利、同大会初制覇を果たしている。 たまに篠原信一のモノマネを行うことがある。テレビ朝日『お試しかっ!』で披露した際はタカアンドトシと関根勤にはウケたが、その時点ではマイナーなせいか一般審査員の反応はイマイチだった。のちに篠原がタレントに転身したため、モノマネを披露する機会は増えている。 篠原信一のものまねで、大分県出身の世界柔道金メダリスト、元ロンドン五輪選手の穴井隆将のことを指導する場面があり、「穴井!穴井!」と呼びながら、次第に白熱すると「隆将!!」と名前で呼ぶところを真似したことがある。
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柔道関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:28 UTC 版)
魁傑(西森)は身長187cm・体重92kgの大躯から繰り出す大外刈や小内刈、送足払に長じ、柔道選手としてもその将来を期待されていた。特に目立った成績を残したのは前述の通り講道館で行なわれた春季紅白試合での6人抜きで、1966年5月15日に催された試合当日には2段以上の猛者約550人が犇(ひし)めく中での快挙であった。当時2段位であった大学1年生の西森は、同じく2段の藤塚(法政大学)を小内刈、佐々木(日本体育大学)を大外落、押尾(青山学院大学)を送足払、回谷(法政大学)を合技、小池(国士舘大学)も合技、石本(日本体育大学)を技有で破り、7人目の柿坪(日本体育大学)を相手に不用意に場外へ足を踏み出して「注意」で敗れものの、その存在感を大いに示した。なお、この紅白試合では西森の他、2段の部で日本大学2年の町田未則が7人抜き、3段の部では同大3年の石井繁好が6人抜き、同じく日本大の4年生・吉田憲一が10人抜き、東京教育大学2年の藤川純が6人抜きを達成。西森を含め5人がいずれも抜群昇段を許され、抜群5人のうち4人を日本大学の学生が占めるという偉業を成し遂げた。 日本大学は紅白試合1週間後の5月22日に日本武道館で開催された第15回東京学生優勝大会にて、決勝戦で中央大学を1:1の僅差ながら内容勝で降し7度目の優勝を果たした。しかし直後6月18日の第19回全日本学生優勝大会では、決勝戦で同じく中央大学と相対するとあべこべに0:3で敗れて優勝旗を譲っている。当時監督として日本大学の柔道部を率いていた佐藤寅三郎は、西森と1年先輩の町田の抜群2選手を両大会の選手には選抜せず、柔道評論家のくろだたけしも「この2人を出場させたとして、期待通りの好成績をあげ得たかどうかは疑問」「大試合での経験不足が、2人を明年の戦力として温存せしめたのであろう」と推察している。いずれにしても西森はこの両大会では応援する側に回り、直後に相撲界に転向したため、その後柔道界で名を残す事はなかった。西森と共に将来を嘱望された1年先輩の町田は、4段位で大学を卒業後に郷里の鹿児島へ戻って鹿児島県警察に奉職。しかし全日本選手権大会はおろか全国警察選手権大会を獲る事も適わず、平凡な選手のまま現役生活を終えている。くろだたけしは町田を引き合いに出しながら、「西森が柔道界に残ったとして、その素質は認めるにしても、全日本選手権大会で優勝を争う大選手に成長していたかどうか…それは?である」とも述べている。
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