東日本大震災発生前
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旧駅舎は新駅舎からさらに東方の中浜部落にあった(坂元字二又1番地)。旧駅舎から国道6号まで一直線に道路(県道120号線)が伸びており、旧駅舎のすぐ東側を県道38号線(ストロベリーライン)が走っていた。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)にともない発生した津波で駅の構内設備は消滅した。 島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームとは跨線橋で連絡。ホーム上には待合所が置かれていた。かつては相対式ホーム2面2線の構造であったが、近くの川が大雨のたびに氾濫したことから島式ホームに改良された。現在、旧駅周辺は更地になっている。 東日本大震災発生前ののりば番線路線方向行先1■常磐線 下り 岩沼・仙台方面 2上り 相馬・原ノ町方面 鉄道復旧前は、常磐線代替バスが亘理駅~相馬間で運行されており、国道6号の停留所から乗り降りしていた。 旧駅舎(2008年1月) 旧駅構内。駅舎手前の通路を通り跨線橋を上りホームへと行く(2006年6月) 東北地方太平洋沖地震による津波で被災した後の坂元駅。ホームはえぐれ、跨線橋とコンクリート造の公衆トイレ以外は流失した(2011年5月) 震災後の旧駅構内。跨線橋は撤去され公衆トイレのみ残されている(2012年11月) 国道6号沿いに設置された代行バスの坂元停留場。この周辺にも津波が到達しその痕跡が残る(2013年1月) 旧駅舎跡地。周辺はほとんどが更地となっている(2016年7月)
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東日本大震災発生前
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「山下駅 (宮城県)」の記事における「東日本大震災発生前」の解説
旧駅舎は山元町役場のある山下部落から東方約2km、新駅舎から東方約1kmに位置する花釜部落にあった(山寺字頭無150番地、地図)。旧駅舎の東側を南北に走る県道38号線沿いにはイチゴ畑が広がっていたことから、この道は「ストロベリーライン」と呼ばれていた。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅で、駅舎と2・3番ホームは跨線橋で連絡していた。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波により駅舎および線路等の施設が大きな被害を受けたため、線路は撤去され、駅舎は板が打ち付けられて立入り出来ない状態となっていた。2013年1月15日より駅舎の解体がはじまり、同年3月時点では既に駅舎は撤去されていた。2017年3月時点では、ホームの一部の解体が行われている。なお、トイレは現在も使用することができる。 東日本大震災にともなう代行バスは新駅開業前日の2016年12月9日まで運転され、バス停は駅から西へ約2km離れた山元町役場前に設置されていた。代行バスではSuicaは定期券のみ使用できた。 旧駅南側には東日本大震災の慰霊碑と駐車場が設置された。 のりば 番線路線方向行先1・2■常磐線 下り 岩沼・仙台方面 3上り 原ノ町・いわき方面 2番線は当駅始発が使用した。 旧駅舎(2007年12月) 震災後の旧駅舎(2013年1月) 震災後の旧駅構内(2013年1月) 山元町役場前に設置された代行バスの停留場(2013年1月) 解体後の旧駅舎跡地(2016年7月)
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