本所屋敷とは? わかりやすく解説

本所屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 01:12 UTC 版)

松平信望」の記事における「本所屋敷」の解説

松平信望は5千石大身旗本で、将軍徳川綱吉小姓であったまた、時の次席御側用人松平輝貞従弟であり、2人神田佐久間町1丁目北にあった並び屋敷住んでいて懇意であったまた、北隣西側には土屋逵直屋敷があったが、この土屋家とも縁続きであった。のちに赤穂浪士による討ち入りの場となった吉良義央の本所屋敷となる。 信望屋敷元禄11年1697年9月まで神田佐久間町1丁目北にあったが、同月大火勅額火事)に被災したことから、同年11月本所竹蔵跡地屋敷土地のみ)を拝領した。このことから、「本所吉良邸は人も住めないようボロ屋敷」とする過去通説史料的に否定された。元禄14年1701年8月12日信望下谷の町野酒之丞のものだった屋敷拝領し、本所屋敷から立ち去ったこのあと8月19日吉良義央江戸城お膝元呉服橋からここへ移されてきた。 吉良義央屋敷変わって、南にあった表門が東に移設されていたことは重要である(大石良雄は東の表門から討入ったため)。47士の1人である大石信清母方伯父である太田兵衛信望家臣であり、そのため吉良絵図面手に入れたのは信清ではないかとする説もあるが(寺坂信行日記に「吉良絵図面内縁をもって入手したと書かれているため)、刃傷事件直後堀部一家松平屋敷の北隣東側にあった本多長員屋敷内忠見衛門宅に仮住まいしていたことは、浅野屋敷からの引越し手伝った石川道務に宛てた堀部金丸書簡によって間違いないとされている。また天保の頃、本多屋敷向かい御台所町)に住んでいた宮川政運は、『宮川舎漫筆』のなかに忠見衛門宛てた堀部武庸遺書など遺品忠見衛門の子孫に見せてもらった記し、そのスケッチまで遺している。これらから、泉岳寺引き上げ前に吉良屋敷絵図などの遺品堀部武庸が塀越し投げ込んだとする説が有力とされてきた。 なお、かつては吉良義央の本所屋敷の前主近藤登之助とされていた。吉良邸の前主近藤登之助であったと、町方からの報告によって作成された『文政町方書上』や『御府内備考』にも書かれているが、当時本所松坂町住人からの報告よるもので、間違いである。近藤登之助説は、江戸学始祖といわれる三田村鳶魚が『横から見た赤穂義士』(1930年刊)から広まったもので、昭和2年1927年)に発見された「本所松坂町兼春稲荷に関する古文書書かれたことからの誤りによる(通称誤りで、登助)。それ以前三田村は『日本及日本人』(1910年1月発行)に、「吉良上野介引越し先松平登之助の上屋敷と書いていた(出典は『湯浅日記』)。『横から見た赤穂義士』の影響から舟橋聖一小説新・忠臣蔵』では、吉良義央引越し先を「近藤松平)登之助の上屋敷と書いている。三田村は、半世紀前の鉄砲百人組組頭近藤貞用(登助)を想定した考えられるが、近藤貞用松平の姓を賜っておらず、松平姓を持った他の近藤登助(登之助)という人物存在しない。これらは、平成11年1999年6月刊行の『月刊TOWNNET』誌連載忠臣蔵江戸を探る脳を探る』(其十八・百楽天著)で詳細にわたって検証され前述の『新・忠臣蔵』を原作としたNHK大河ドラマ元禄繚乱』(1999年)では松平登之助信望訂正された。 表 話 編 歴 旗本信定松平家第2代当主1697年 - 1754年大河内宗家顕綱 - 政顕 - 行重 - 宗綱 - 貞綱 - 光将 - 国綱 - 光綱 - 真綱 - 信政 - 信貞 - 秀綱 - 久綱 - 重綱 - 信久 - 信相 - 久豊 - 豊貫 - 久雄 - 久徴 - 久信 - 久道 - 久成 大河内松平宗家正綱 - 正信 - 正久 - 正貞 - 正温 - 正升 - 正路 - 正敬 - 正義 - 正和 - (大河内)正質 - 大河内正倫 - 正陽 - 正樹 分家支流 正佐系松平家正佐 - 正武 - 正屋 - 正明 - 正名 - 正孝 正基系松平家正基 - 正 - 正喬 - 正賢 - 正相 - 大河内孫三郎 - 監物 正朝系松平家正朝 - 為政 - 正億 - 正方 - 正愛 - 正卜 - 正則 - 正之 - 大河内鶴吉 信綱系松平家 伊豆守家信綱 - 輝綱 - 信輝 - 信祝 - 信復 - 信礼 - 信明 - 信順 - 信宝 - 信璋 - (大河内)信古 - 大河内信好 - 正敏 - 信定 - 元冬 信定信定 - 信望 - (信晴) - 信直 - 信睦 - 信譲 - 信敬 - 信弥 - 大河内信宝 - 信庸 - 信義 - 信矼 - 信秀 - 信喜 高崎藩系信興 - 輝貞 - 輝規 - 輝高 - 輝和 - 輝延 - 輝承 - 輝徳 - 輝充 - 輝聴 - (大河内)輝声 - 大河内輝耕 - 輝信 - 輝義 堅綱系堅綱 - 信義 - 信連 - 信応 - 信成 - 信行 - 信孟 - 信敏 - 舎人 - 大河内一郎

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「本所屋敷」を含む「松平信望」の記事については、「松平信望」の概要を参照ください。

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