有員から頼満(安芸守)まで(神氏系図)
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「諏訪氏」の記事における「有員から頼満(安芸守)まで(神氏系図)」の解説
『神氏系図(前田家本)』とこれとほぼ似ている『神家系図(千野家本)』(『諏訪史料叢書 巻28』に収録)では神氏の始祖が有員とされている。 夫れ諏方大明神の垂迹の事、異説之れ在り。或いは他国応生の霊、或いは吾朝根本の神、旧記の異端、凡慮測り難し。爰に『旧事本紀』説きて曰はく、素盞烏尊の御孫・大己神(原文ママ)の第二御子、建御名方神是れなり。神代の義は幽邈にして之れを記し難し。(中略)別紙在り、信州諏方郡に神幸するは、人皇卅二代・用明天皇の御宇なり。時に八歳の童子有り、〔後に有員と字す〕明神に随遂せしむ。守屋大神と諍ひ奉りて、守屋山に至りて御合戦有り。童子神兵を率ゐて守屋を追落す。則ち彼の山麓に社壇を構へて、吾神御衣を童子に脱ぎ着せ、「吾に躰無し、祝を以て躰と為す」と神勅有りて、御身を隠し給ふ。即ち彼の童子を神躰と為して御衣木祝(みそぎはふり)と名づく。神氏の始祖なり。明神は普賢、童子は文殊なり。(『神氏系図』序文、原漢文) 『前田本神氏系図』と『千野家本神家系図』より 御衣木祝・有員(諏訪大祝元祖) 14代略(為仲の時代に紛失) 大祝・頼信(美濃権守) 頼高(次郎権守) 為次(神押領使) 大祝・為信(神大夫) 為正(権別当) 大祝・為仲(神太)(大祝の郡外不出の掟を破り神罰を受ける) 大祝・為継(次郎)(即位3日後に頓死) 大祝・為次(三郎)(即位7日後に頓死) 大祝・為貞(四郎)(大祝後継者となる) 為頼(五郎) 為盛(神五介)(大祝職を継がず) 大祝・敦貞 盛行(神大夫) 大祝・貞方 敦真(諏方次郎) 敦家(検校) [保科氏]行遠(四郎大夫) 行長(新太夫) 大祝・貞光(安芸権守) [千野氏]光親(大夫) [上原氏]敦成(五郎) [矢島氏][矢崎氏]家直(神六) [深沢氏]行衡(四郎) 大祝・敦光(親大夫) [藤沢氏]清定(親貞)(神次) [風間氏]忠直(神荘司) [知久氏]敦俊(知久十郎左衛門) [有賀氏]有光(有賀次郎) 大祝・敦忠(信濃権守) [小坂氏]助忠(小坂左近将監) 大祝・敦信(太夫) 頼忠(左衛門尉) 大祝・信重(小太郎)(信濃権守) 盛忠(左近将監) 大祝・信時(新大夫) [京都諏訪氏]円忠(大進坊) 大祝・盛信(新太夫・信濃権守) 大祝・盛重(安芸守) 盛経(真性) [原氏]敦禎(七郎) 大祝・頼重(三河守) 宗経(直性) 大祝・時継(元は時経)(安芸守) 大祝・頼嗣(元は頼継)(信濃守) [高遠氏]継宗 大祝・信嗣(安芸守) 大祝・直頼(祝万) 大祝・信有(安芸守) 大祝・有継(刑部大輔) [惣領家]信満(安芸守) [大祝家]大祝・頼満(伊予守) 政満(刑部大輔) 大祝・頼長(万歳丸) 継満 頼満(安芸守) 宮若丸
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